改めて礼三息の説明をすると、
1. 息を吸いながら身体を前傾させる
2. 止まったところで息を吐く
3. 再び息を吸いながら元の姿勢に戻る
呼吸と身体の動きが理に叶っている。
まず、呼吸をしないで何かをやるということはない。
その上で、1.身体の前傾は息を吸いながら行う。
吸ってなければ死に体であろう、気持ちがこもっていない。
2.止まったら息を吐くというのも、動作が止まると同時に相手に身を任せる、
そして心を平静に保つのだから息を吐くのが自然だ。
3.再び息を吸いながら元の姿勢に、というのも最後を締めくくっているのに相応しい。
次の動作に身も心も備えているのだ。
開式前、司会者は祭壇に向かってお辞儀をする。
当然息を吸いながらである。
積極的にお辞儀をするのだから、息を吸わなきゃ気持ちがこもらない。
止まった所で、ゆっくり息を吐く。
明鏡止水・無念無想の境地のように心が静かだ。
そして元の姿勢に戻るのも積極的に戻そう。
だからこそ息を吸いながら行為を伴うのである。
理に叶っているのだ。
そして最後に遺影写真をしっかりと見て、残心(相手の心を残して)で動き出す。
気持ちと身体の動きには相関関係がある。
例えば導師控室を訪ねるとしよう。
ドアをノックする場合、
「トン・トン、失礼します」
と言葉で書けばこれだけ。
ところが実際にやらせてみると、
「トントントン、失礼します」
これでは新聞の集金である。
では、
「トン・トン、失礼します」
だと物足りない。出来れば
「トン・トン、失礼します」
であって欲しい。
訊ねる相手、訪ねる内容によって動作は変わる。
一度目と二度目とでは、ドアをノックする強さが違うのだ。
当たり前のことだけど、マニュアルには載らないことかもしれないが、
そういう感性を磨くのが大切なんだと思う。