真宗系では仏舎利塔(ストッーパ)が存在しないから、
まず聞くことがありません。
もし聞いたら・・・怪しい僧侶かもしれないですね。
因みに、上記の文言に「法界塔婆」とありますが、
真宗系では塔婆もありません。
さて、仏教はお釈迦様が荼毘に付されたように、
火葬が自然である・・・というより大切にされてきました。
その流れの中で、お釈迦様の舎利を大切にし、
仏舎利塔を供養することで、我々も成仏できると考えられてきたようです。
しかしお釈迦様は弟子たちに言っていたそうです。
(聞いたわけじゃありませんが)
「とらわれなく、執着なく、淡々と生きなさい」と。
・・・えらい難しい事を平気で仰る方ですなあ。
そして自分の死後、遺骨についても執着するなと説いたらしい、の・で・す・が・・・
(これも聞いたわけじゃありません)
ご存じの通り、お釈迦様の遺骨を巡っては、それを八つに分骨し
(いくらなんでも多過ぎ・・・他説もあって10分骨という話もあります)
仏舎利塔(ストッーパ)に安置し、礼拝の対象にしちゃいました。
こんな恐れがあるから、智慧のあるお釈迦様なら、
骨が残らないように何らかの工夫ができなかったのかな・・・
そんなことをブツブツ言ってたらイジワルか?
日本には仏舎利塔がいくつあるのだろう?
お釈迦様の遺骨(舎利)は、そんなにはないよなあ。
ここまでは、何となく私が知っている流れです。
このお話に関して、明日に続きます。