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2012年02月29日

卒業式(工場長こと古家寛)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

大阪市の相愛高校で、戦争の混乱で卒業式が行われなかった
「相愛高等女学校」の1945年3月の卒業生約600人のうち、46人に卒業証書が渡された
・・・という心温まるニュースがありました。
このような、ひとつの区切りを付けるセレモニー、その姿勢は、
現在の葬儀の参考となる要素があると思います。
参照:大阪・相愛高:67年ぶりの卒業式 46人にも証書

卒業式といえば最も印象に残る瞬間は、卒業証書の授与でしょうか。
とはいえ、卒業証書(卒業の証)だけあれば良い訳ではなく、
式を通じて学校生活を振り返る時間そのものが大切なのでしょう。
深く記憶に残る時間ですしね。級友との別れは、
その瞬間を共有した時間そのものに意味があったと今思います。

改めて振り返ると、卒業式のように記憶に残る時間というものは、
人生において限られています。
そういう意味で、個々が人生で過ごしてきた時間の価値は不平等です。
記憶に残る時間と、記憶に残らないような時間があります。
卒業式は、どちらかと言うと記憶に残る時間といえるでしょう。
そして、葬儀や結婚式も比較的記憶に残りやすい、
価値のある時間を提供しているのではないでしょうか。

相愛高校の場合、同窓会で「戦争で卒業式を開いてもらえなかった」
という声があったことが、今回の「相愛高等女学校」卒業式の開催理由の一つだそうです。
当時、学校側は卒業生にわら半紙1枚の卒業証明書だけを渡し、
卒業式の開催を断念した経緯があったそうですが、
こういうは心遣いは粋なことだと思います。
そして、記憶に残る「卒業式」になったのではないでしょうか。

昨年、震災で卒業式を中止した小中高校も多かったことでしょう。
卒業式を断念した学校の校長が、
卒業生にメッセージを送ったことも話題になりました。
参照:卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)
未だに震災の傷跡は残っていますが、
今年、もしくは今後、改めて機会を見て卒業式が開かれる可能性は、
あるのではないでしょうか。そういった時間は、大切だと思うのです。

話は戦前にさかのぼります。
1912年、ストックホルムオリンピックが開かれました。
このオリンピックは、日本が初めて参加したオリンピックでもあります。
陸上短距離の三島弥彦選手と、マラソンの金栗四三選手の2名のみの参加でした。
そして、ともに(実際は)途中棄権をしています・・・。

1967年、ストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典が開催されました。
この開催に当たって当時の記録を調べていたスウェーデンのオリンピック委員会が、
陸上競技の男子マラソンにおいて、マラソンの金栗四三選手が、
「(棄権の意思が運営者側に届いていなかったため)競技中に失踪し行方不明」と
なっていることに気付いたそうです。
このため、オリンピック委員会は金栗を記念式典でゴールさせることにし、
金栗選手を式典に招待しました。招待を受けた金栗はストックホルムへ赴き、
競技場内に用意されたゴールテープを切りました。
ゴールの瞬間、場内には、
「只今のタイムは54年8ヶ月6日5時間32分20秒3、
 これで第5回ストックホルム大会は総ての競技を終了しました」
とのアナウンスが響いたといいます。
金栗選手のゴール後のスピーチは、
「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」
金栗選手にとって、一つの大きな区切りになったのではないでしょうか。
箱根駅伝のMVPには金栗杯の名が付けられていますが、
今では金栗選手は長距離陸上界の伝説です。

色々な卒業式がある・・・そして、そういった式には大きな価値があるということで、
話が色々と逸れましたが、そんなエッセイです。

そして、今日2月29日は「円満離婚の日」だそうです。
参照:日本記念日協会
いろいろな卒業があるものです・・・。
ではでは。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2012年02月29日 08:30

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