「心を込める」ってのは、「お付き合い」のことだと思うのです。
「はじめまして」から始まって、折に触れて挨拶などをして、
徐々に相手のことが分かり始める。
「こういうことをすれば、喜ばれる」
「こういうことは、敬遠される」
そういうやって、相手の人柄や趣向、好き嫌いなどが少しずつ汲み取ってゆく。
逆に、そういう「貴重な情報」は、一朝一夕で分かるはずがありません。
ましてや、電話をもらって翌日や翌々日、遅くとも1週間以内には施行という、
お葬式の短い期間の中では、ほぼ無理と言ってよいでしょう。
短い期間で心をこめるなんて、ゆめゆめ出来ることではないからこそ、
「心をこもったお葬式」というキャッチフレーズに、一見、惹かれるのかもしれません。
価値観は人それぞれですが、
個人的には「丁寧な葬儀をします」や「ミスの少ない葬儀をします」などの
誠実・堅実な感じの言葉の方が、断然好感が持てます。
なぜなら、ミスを減らすことは、事前に自社で準備しておける事だからです。
むしろ、そういう準備に余念がない葬儀社の方が、
相手のことを考えた、「心がこもっている」ということになるのではないでしょうか。
決して、固い感じの、システムティックな葬儀を推しているわけではありません。
言葉として、「心をこもったお葬式」というものが引っかかっただけなのです。
そもそも、葬儀において心を込めるのは、
葬儀社ではなく、遺族や親戚や会葬者の方でしょう。
結果として「心がこもったお葬式」になるかどうかの要因も、
遺族や親戚、会葬者に依るところが大きいです。
だから、葬儀後に、遺族から「お陰さまで心がこもったお葬式ができました」
と御礼があったとしても、それは決して葬儀社が心をこめた訳ではありません。
葬儀社は、単に適切な施行をしたにすぎません。
しかし、それが葬儀社にとって尊いことです。
・・・と、ここまで勢いで書いて、
「心のこもったお葬式」とGoogleで検索しました。
結構引っかかるものだなと・・・恐縮です。
上位に検索された皆様、私は決して嫌われたい訳ではありません。
できれば、来週の司会研修にご参加いただきたいと思っております。
心のこもった司会表現に関して、その技術・方法論をお伝えします。
悪しからず。
司会研修の情報は、こちらから!