あの3・11の時、宮城県で地震に遭遇した私は、
被災地の直後の混乱を体験しています。
あの日、電気、ガス、水道すべてが止まり、
雪の降る寒い夜、真っ暗なホテルのロビーで毛布をかぶって夜を明かしました。
地震の2~3時間後に行ったコンビニエンスでは、
ほとんどの品物が売れ切れていて、食料では電子レンジをつかって温める
カレーと酢豚のようなものだけ買うことが出来ました。
私はその夜と翌朝、温めずに固く冷たいご飯とカレーを食べました。
翌日に向かった行政の避難所では、
白いおむすび1個と白湯をもらったことを忘れません。
その避難所は多少の備蓄された物資がありましたが、
お昼頃になると「今夜には、飲み水もトイレ用の水もお米も自家発電の電気も
すべてが無くなりますご了承ください」という館内放送が流れました。
セツナイ気持ちでその放送を聞いたことを今思い出します。
私がそこから学んだことは、
その時が来たら「コンビニエンスも行政も当てにはならない」ということです。
その後しばらくしてから家庭内備蓄を始めました。
最初の頃の備蓄はこのエッセイにも書きましたが、
準備を進めれば進めるほど色々なことが分かって来て改善に改善を繰り返し、
ついに1年位をかけて、現在の備蓄が出来上がりました。
大切なことは、「今、地震があったらどうするか」ということを
常に考えることです。
万が一寝ている時に地震に襲われたら・・・寝ていて生き埋めになったら・・・
手の届く場所に取りあえず必要な物がなければ生き抜けないということです。
そこで1次持ち出しの大きなリュックとは別に、
寝ている枕元に置く個人用備品の準備を始めました。
内容は、靴、靴下、ヘルメット、5年保存水、ウエットティッシュ、
マスク、カイロ、防水ウインドブレーカー、ラジオ、LEDライト、
バンダナ、ティッシュ、薬、皮手袋、軍手、
ビスケット、カロリーメイト、氷砂糖、笛、現金です。
このリュックがあれば3日間位はどうにかひとりで生き抜けます。
今回初めて全員分の「避難用携帯カード」を作り、
いざという時の避難先や連絡先を統一、明記しました。
先日やっと家族分+母の分のリュックが出来上がりました。
息子や夫にも中身の説明を終えて、
着替えと携帯電話などと一緒に毎晩枕元に置いて寝ています。
備品は、山岳用品やアウトドア店、作業服のワークマン、
ダイソーなどを巡って、なるべく安価なもので揃えました。
準備作業はとても楽しかったです。
次回は、食料や生活用品の備蓄について書こうと思います。
「備えあれば憂いなし」お陰で、何があっても生き抜く気合いが出てきました!