2009年7月の改正臓器移植法によって、本人の臓器提供の意思が不明でも、
家族の承諾で臓器提供ができるようになりました。
この法改正により、15歳未満からの移植も可能になりました。
(15歳というのは、遺言の作成可能年齢と同じです。
葬祭ディレクター試験にも頻出ですね。)
若い臓器は非常に貴重であり、特に子供が重い心疾患を抱えた場合は、
アメリカに行かなければ心臓移植が出来ないと言われていましたが、
この法改正により日本でも治療できる機会が芽生えました。
とはいえ、日本では圧倒的に移植件数が少ないのが実情です。
参照①:世界の移植数など、移植関連データ
参照②:臓器移植ネットワーク:臓器提供数/移植数(近年の推移はこちら)
法改正があって件数は増えているとはいえ、
昨年の心臓移植は「31」です。
一方で、アメリカは約2,000件です。
今回の法改正で法律制度は欧米先進国と似たような内容になったものの、
価値観や死生観といった根本の違いが、移植案件数に現れているのではないでしょうか。
ふり返って見ると、臓器移植法改正時に、
浄土真宗本願寺派は公式に意見を表明していました。
当時発表された文章を読み返してみると、
臓器移植による「助かる生命を助けたい」という願いに理解を示しつつも、
『宗教者の立場から、いのちを尊ぶ社会の実現を願い、
脳死を人の死とすることにあらためて警鐘をならす』としています。
長年、日本人の死生に寄与してきた仏教界の意思です。
私は脳死にはさほど違和感を感じないのですが、
臓器移植を善とするような方向には纏まりのつかない「違和感」を感じています。
(個人的な感性の問題ですが)
参照:臓器移植法改正案成立について(要請)
今回の報道で、男児や両親は、マスコミで大きく讃えられたように思います。
私も、勇気ある決断だったと思います。救われた命があったことも確かです。
ただ「臓器移植は、しても、しなくても良い権利」であるはずなのに、
「臓器移植するのが一般的」みたいな雰囲気になるは懸念を感じます。
死の在り方や臓器移植に対する価値観や考え方は、
個々の考え方や価値観に依るべきですし、尊重されるべきです。
最後に、2年前にも書きましたが、
改正移植法のポイントを、下記に書いておきます。
(最近物忘れが多いので、備忘録として)
①親族に臓器を優先的に提供できる
(移植機会の公平性に課題あり。また、自殺の場合は不可)
②15歳未満でも、親の意思があれば臓器提供が可能になる
(ただし本人が生前に拒否の意思を示していれば不可。また、虐待児除く)
③脳死判定を行える年齢を、6歳以上から生後12週以上とする
(6歳未満は脳死判定慎重に。一般の脳波や自発呼吸の消失など、
5項目の判定を6時間以上の間隔を空けて2回行いますが、
6歳未満の場合、その間隔を24時間以上とする規定ができました。)