神道では神事の際、「忌火」と呼ばれる火を起こします。
伊勢神宮によると「清浄な火」のことですが、
火がそもそも持つ性質が「ケガレ」であるため「忌火」と呼ばれたそうです。
また火がケガレを伝染媒介すると考えられていた為、
火をくべる竈(かまど)を別にするなどの措置がとられていました。
伊勢神宮には、火をきり出すための「忌火屋殿」があります。
昔は、火は「忌み」の象徴の一つだったのでしょう。
火事は今より恐れられていたでしょうし、火は生活に必要な道具だけれども、
コントロールするのが難しい存在だったはずです。
そのような時代では、理解を超えて人々に不幸を起こすものの存在は、
「忌み」という言葉に置き換えられていたのでしょう。
死も同様に、「忌み」という悪しき存在に考えが置き換えられ、
今もその名残が習俗として残っているということでしょう。
死に関しても、だいぶ科学的な解明が進んでいますが、
まだ得体のしれない部分がありますからね。
尚、仏教における火は、特に密教では重要視されたようです。
そういえば奥の院の灯篭堂、昔は油を注いで火を灯していました。
(今は電球ですが・・・もしやLED!?)
「護摩」という火を焚く密教の修法もありますし、
火が信仰に関わっていることは確かなようです。
・・・また、後日詳しく調べたいと思います。
さて、もうすぐオリンピックが開幕します。
オリンピックでは「聖火」が焚かれます。
これはエネルギーや生命力の象徴です。
昔は聖火台に木を組んで燃やしていたような気もしますが、
最近はガスで燃やしていますね。そういう時代なのでしょう。
木の方が霊的なものが宿りそうで、趣は良いと思うのですけどね。
環境破壊と言われるのでしょうか・・・。
纏まりが無いですが、そんなところです。