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2012年10月26日

玄関から (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

玄関という言葉は仏教語に由来する。
しかし、字だけを見ても意味が良く分からない。
「玄」とはどういう意味か?
日本での漢字の意味は
「仄暗くてよく見えないさま。また、奥深くて暗いさま。光や、艶のない黒い色。
また、黒い色をしているさま。天の色、また、天のこと。薄暗い北方。
奥深くてよくわからない微妙な道理。か細いさま。」等の意味がある。

<日本での>といったのは中国から来た文字であるから、
日本での意味だけ調べて果たして分かるかどうか、という意味合いがある。
確かに、何となく分かったような、分からないような…どうもはっきりしない。

仏教では、「深い悟りに入るための関門」という意味である。
中世、禅宗の発展と共に悟りを開くための禅宗寺院の入り口を指すようになった。
その頃、庶民に限らず貴族でも、日本の住宅に玄関は存在しなかった。
縁側のような所から出入りするのが当然だったのだ。
それが、武家の住宅に玄関が取り入れられ、大きく意味が変化した。
相手を恭しく送迎する場所としての位置づけが大きくなったのである。
群雄割拠の時代は、酒食のもてなしや舞踏や歌謡による接待も、
相手を味方に付けるための手段にすぎなかった。
(その名残は現代でもあるだろう)
このようにして玄関の必要性は高まり、身分制度も相まって、
玄関は制度化され格式化された。
一般庶民(町人・農民など)には、とてもじゃないが玄関は許されなかった。

現在、玄関の無い家は存在しない。
しかも日本の住宅造りは、ある意味「玄関」との戦いであったという。
これは世界的にも相当珍しいらしい。
玄関で靴を脱ぐという日本の様式に合わせるためには、
家の中に、ただ一つ外のものを個別に取り込むという工夫が必要だった。
日本の玄関は衛生的にも素晴らしいのだ。
また、風水にこだわってみたり、玄関は住まいの顔として重宝される。
が、その本来の意味は、ほとんど失われている。
仏教語として入ってきた言葉が定着し、独自の発展を遂げる。
これは「玄関」に限らず、沢山ある。
その玄関で交わされる「挨拶」、これも本来は仏教語である。
挨拶の語源は、禅僧の間で、師匠が弟子と押し問答をして
その者の悟りの深さを試す意味である。
「愚痴」も仏教関連で、無明の意味を成す。
昭和の話で申し訳ないが立てつけの悪い玄関、これをガタピシと云っていた。
「我他彼此」である。
彼岸と此岸の行き来がうまくいかない、という意味合いであろう。

玄関という言葉ひとつを取り上げてみても、実に奥深い歴史がある。

<追伸>
月曜日から、言葉通り「ロンパリ」に行ってきます。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2012年10月26日 08:30

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