記事には、学生が震災地に赴いてボランティア活動をしたという、
活動報告が書かれていました。
また、「被災者の体験で学ぶのは失礼だと思う」などという、
参加学生が現地で感じた感想なども載せられていました。
学生らしい感想だなと思いつつ、
こういう『感想』や『どう思ったか』ということは、
もっと記録に残されていて良いものだと感じました。
参照:参考までに、筑紫女学園のホームページに10月20日号の記事が紹介されていました
震災当時の緊迫感、また心情というものは、
時間に経過と共に薄れていきます。
直接被災していない私なぞは、尚更そうです。
時間の経過とともに平素の日常へと戻っていくのが、心のメカニズム。
だから、その時の心情や思いというものは、
記録に残しておかないと忘れられてしまいます。
ふと思い返すと、
facebookを通して弊社エッセイを見てくださる宿原先生は、
鎌倉新書の仏事(2011年5月号、7月号、2012年2月号)で、
「東日本大震災 支援活動レポート」を掲載されていました。
時系列に沿った分かりやすい活動記録で、かつ感想や思いも書かれていたので、
その時の気持ちがよく伝わってきたのを憶えています。
あとは、以前にもご紹介させていただきました、
清月記様の
「3.11東日本大震災 清月記 活動の記録 鎮魂と追悼の誠を捧げて」。
言わずもがなですが、
多くの関係者の感想や寄稿が載せられており、
気持ちの面でも当時の様子がよく伝わってくる、重い記録書です。
東日本大震災に限らず、「感想」や「気持ち」といった情報は、
数字や分析などの情報よりも雑誌や本に残りにくいのが実情です。
プロの物書きは、「~思う」なんて書きにくいですからね。
そんなことを、機関紙に目を通しながら思った次第です。