我々がイギリスを訪れたのは10月の末から11月の初旬。
その時期、イギリスでは「ハーフタイム」と呼ばれていた。
「ハーフタイム」って何の事?
サッカーやバスケットで耳にする、途中の休憩の事?と思っていたらピンポーン。
学生の各学期の真ん中に一週間程度の休みを設けているらしい。
その時期は家族揃ってのバカンスというのが一般的という…羨ましいね。
ということは、ハーフタイムが年間数回はあるわけだ。
ちょっと休ませ過ぎじゃないか、と思っていたら、
あちらにはあちらの事情もあるとのこと。
ロンドン市内の法律では、12歳以下の就学児童に対して、
「親が子供を学校の敷地内まで送り届ける」という規定があるらしい。
こりゃあ大変だ、毎日送り届けてから仕事に行くとなると、相当朝早いよなあ…
そういえば、朝見かけるイギリス人は足が速い、歩く速度が相当早いよ。
学生だけでなく親の負担も考慮して、ちょこちょこと休みを設けているらしいのだ。
しかしながら、そのことで影響を受けるのは、
態々日本からイギリスまで行って空いた僅かな時間に、
(もう二度とイギリスに行くこともないであろう私のようなものが、やっとの思いで)
博物館や美術館などの観光コースを一目見ようと目論んでいるのに。
ハッキリ申し上げて、子供は学校に行かせろや!
子供も親も煩いし、ゴチャゴチャしてかなわんよ。
(大英博物館)
そこへガイド曰く。
大英博物館には子供のスリが多いらしい。
「大人の手は入らなくても、子供の小さな手はあらゆる所に伸びてくる」
なんて云うものだから、子供を見るたびにビクビクしていたよ。
家族ぐるみでスリをしているらしく、要注意。
だって入館料がタダだからね。
余計に苛立ってきた。
誰かが、世界から盗んできた博物館等と云っていましたが、
全収蔵品800万点の内、一般公開はなんと1パーセントに過ぎないとか。
バックヤードで行われている最新の調査研究の様子はNHKでどうぞ。
1863年、この大英博物館の近くに下宿していたのが、長州藩からやってきた5人。
その中に伊藤博文や井上馨がいました。
ここで彼らは、日本と英国の圧倒的な国力の差を知ることになり、やがて開国へ。
1865年、薩摩藩も15名の留学生と4名の使節団をイギリスへ。
留学生は船旅の途中、髷を切り落としたと云われています。
長州藩士と薩摩藩士が、この時代にロンドンで偶然出会いました。
黎明期の日本に纏わる夢のような本当のお話です。
ロンドン市内の道は、驚くほど狭い…ついでに、あまり綺麗な道ではない。
どうしてこんなに狭いのだろうか。
だから、一方通行が多いのか。
しかし、広く作ってりゃ問題なかったのに、どうしてこうなってしまったか。
19世紀のイギリス、劣悪な住環境からくる国民の健康問題に端を発して、
都市計画がすすめられた…までは良かったのだが…
何せその頃は車社会の到来など想像もできなかったのだ。
だから、道路幅が十分ではないし、駐車場の概念も存在しなかった。
ということは、19世紀に造られた都市計画の街並みが至る所に残っているのだ。
ん???…そうか、イギリスには地震がない、台風がない、あっても温帯低気圧の暴風雨。
住み易いところだなあ、と思う反面、昔の面影がそのまま残っているのがこの国なんだ。
だから、日本から見れば一見素敵に思えるアパートも、中はそんなに広くもないよ。
国土がイギリスは日本より狭いからね…人口も少ないけど。
駐車場はどうしているかって?
よくぞ聞いてくれました、これはフランスでも同じだけど、
ギッチギチに詰めて道路の一車線に車が並んでいます。
それが道沿いのそれぞれのアパートの駐車場なんです。
驚くことに、ぶつかって駐車している車もありますが、
バンパー程度の接触は事故にはならないようです。
(日本では考えられませーん)
とにかく、イギリス人は縦列駐車の鬼です。
ロンドン名物のダブルデッカー…2階建てバス。
道が狭いから考え出された苦肉の策でーす。
それでも2階建てバスは、走行している姿は様になりますぞ!
霧のロンドン。
これは何故か…次回にしましょう。