本来、このレポートには視察研修の重要な事柄は一切書かないつもりであったが、
葬祭業界における、このフランスの大きな変化だけは皆様にお伝えしたいと思う。
(その他は書きません)
<2013年から大きく変わるフランスの葬儀事情!>
FFPFというフランスの葬儀社連盟でお話を伺った時のこと。
この話は、多少ネット関係で漏れ伝わっていたので興味はあった。
が、まさかこれほどっ! とは思わなかった。
2013年以降、フランスで葬祭ディレクターになるには学ばなければならない。
それは理論編として140時間、実践実技編として70時間の講習を受講した上で、
国の試験に合格することが求められている。
国内に30数か所ある葬儀専門学校、そこに通うことが義務付けられ、
(学校に通うのが当然の流れ)合計210時間の履修の後、
更に試験に合格しなければ…葬儀スタッフにはなれないということなのだ。
ここフランスでも、葬儀社にとって大変な時代がやってくる。
ある程度は葬祭知識の勉強が必要ということは日本でも同様の流れだが、
フランスでは自治体の協力もあり、公共団体と民間が協同した人材管理が行われている、
ということのようです…本当に大きな変化だし厳しくなるのだ。
日本でも葬祭ディレクター技能審査試験について、様々な事を仰る方がいるが、
ある程度の技量が必要とされているのに受験もしないで批判だけというのはおかしい。
受験をして、堂々と受かってから云えばよいのに、
自らは試験も受けないのに、色々と云うのは納得できないだろう。
(ちと熱くなり過ぎた)
さあ、それでは余談の話に移ろう。
いつもの英語圏では、通訳としてお世話になっている人が決まっているのだが、
フランス語ということもあり、今回初めて案内役や通訳が現地の人になった。
特に通訳が現地の人…日本人だったが、これが面白い通訳をするのだ。
火葬場を「焼却炉」と通訳したのには驚かされた。
(クレームものだよ)
しかしこれが、現地との人にとって、よりストレートな感覚なのだろう。
また、普通なら通訳しない部分も、フランスらしいというか、
ストレートに笑いながら訳した事件もあった。
ちょっと下ネタで恐縮だが、事実だからここに記す。
パリのペール・ラシェーズ墓地を見学した際、様々な著名人の墓があった。
その中にフランスの有名な大統領の墓が…その大統領は何故有名かというと、
愛人を連れて、海外の国際会議に出席するような豪快な人物だった。
が、死ぬ間際…その愛人にフェラチオされながら亡くなったというのである。
しかも笑いながらその事を、本人の墓の前で堂々と喋っていた現地案内人と通訳。
この感覚は、日本人には絶対ないよなあ…私はこの時点で人種の違いを痛感した。
そして現地通訳の面白さは、ある程度直訳してくれるからこそ、
こちらが理解できる感覚もあるのだということ。
その国の歴史や文化に裏付けされた独特の感性が存在するし、それを感じたいと思った。
パリの墓地も墓参りは菊が主流なのに、それにしては辛気臭さが感じられない。
悪いのは菊ではないことが判明した…日本人そのものに原因があるのだろう。
昼頃になって、間もなく閉じられようとしている朝市に飛び込んだ。
野菜、チーズ、魚介類、日用品…何でも揃っている。
私はオーガニック石鹸やフォアグラ入りの缶詰を購入したのだが、
日本語やカタコトの英語で語りかけても通じない。
「ジャポン?」と聞かれたので「そうだ」と答えたら、身振りで少し待っていろという。
彼はスマートフォンを取出し、フランス語を日本語に翻訳して会話した。
こういう時代なんだね。
地元の食材で面白かったのは、ウサギの肉が売られていたこと。
これは何?と尋ねたら「ラバン」と答えた。
どう考えても「パン」じゃないから…ウサギと判明。
かわいいお嬢さんが売っていた。(ショック)
パリと云えばオペラ座。
1909年、ガストン・ルルーがミステリアスな怪奇ロマン小説を発表して
オペラ座の怪人で有名になったのだが、映画は見ているけど舞台は残念ながら。
子供がもう少し大きくなったら観たいとは思っているが、まさか本物が観れるとは。
こちらで教えてもらったのだが、オペラ座は二つある。
旧オペラ座(パリオペラ座・オペラ座ガルニエとも呼ばれる)と新オペラ座だ。
現在、旧オペラ座はオペラ作品の上映を新オペラ座に譲り、
バレエ中心の演目で上演しているらしい。
時間があれば見学ができるので行きたかったのだが…仕方ない。
では、この辺で。