講師なんて職業はいい加減なもので、人に呼んでいただけなくなると終わり。
ただそれだけで、何の保証もないのだ。
そして人に思われているよりギャラは安いし(一般的な話です)、
それだけで食っていくのは並大抵ではないだろう。
その仕事が「好きだから」やれるのだと思う。
何がどう好きだったのか…自分を振り返ると、元々私は司会の人間ではない。
が、葬祭業界に身を置いてお世話になっていたのは何かの縁。
(そこに至る経過に色々とあるのだが省略)
司会もやらせていただいたが、見積もりや宅下げ、解剖助手、納棺、集金、
飾り付けや幕張、更には外接用品、花屋、花環屋、返礼品屋etc…
様々な経験を積ませていただく中で、やがて社葬司会へと特化していった。
それは計算の部分もあるが、極めて自然の流れだったろうと思う。
しかし、その頃の私は社葬の現場でドライの入れ替えは普通にするし、
返礼品の数や品物の変更、料理の追加も当たり前…つまり何だか担当者が、
社葬の司会者を兼ねるというそんな感じ…だったのではないか。
そして当時、ブライダル司会を全く知らない私の司会は特に奇異だったはずだ。
他分野の司会に頼ろうとせず、葬儀司会の有り様を探るという試みーー
俳優業から葬儀司会への転身を軽く見られたが、自分にはそんな気はなかった。
自分の中では貫いた姿勢だったし、だからこそ僧侶のようにお勤めをし、
スチュワーデスのようにではない接客を目指す。
最初から私の司会は饒舌ではない(講座ではよく喋るが)、間を大切にした。
喋るときは、勝負の時…オーバーに言えば命がけ。
ナレーションは依頼されればやるが、普段は一切やらなかった。
そんな葬儀司会にスポットを当て、講師として呼んで下さった団体がいくつか。
誠に感謝している。
綜合ユニコム様もその一つ…そして有難いことに、
年間50~70件の活動をしているが、勿論、それ以外の日は遊んでいる訳ではない。
アウトプットが続く日々を補うため、只管インプットの日々…
しかもスタートした当初は、年間の講師依頼は5本程度。
翌年10本になり、その翌年20本、またその翌年40本とアッという間に増えた。
さて、一つの区切りだろう。
来年か今秋から、講座の組み合わせを変えていこうと思う。
50回目の【ベーシック講座】以外に、【キャリアアップ講座】の形で20数回。
時代の変化や昨今の多様なニーズに合わせる形で提案していきたい。
今回、二日に亘って参加してくださった皆様、大変お疲れ様でした。
特に二日目の【マイクトレーニング講座】は、
セミナーの開催自体が危ぶまれるほどの少人数だったが、
逆に参加者の司会レベルは大幅にアップしたのである。
この形が、【ベーシック講座2】であることは間違いない。
何が幸運をもたらすか、本当に分からない…色んな気づきをいただけた。
お渡しした「お手本CD」が必要ないくらいのレベルだったが、
それでも弛まず研鑽を積んで欲しい。
私が一番勉強になりました、ありがとうございます。