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2013年11月14日

葬祭セレモニー司会術ベーシック講座【基礎編】 その2(井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

昨日の雷に打たれた後の続き。
気を取り直して前に進もう、前進あるのみ。
午前中の課題の中心は、葬儀司会とは切っても切れない「弔電」である。
しかし「弔電」が葬儀の中で如何に疎かに扱われているか。
実際、「弔電」をしっかり表現できている人は少ない。
読みの原則を知っている人がいないのだ。
素人だから仕方がないとはいえ、これは実に勿体ないことである。
葬儀社さんにいわせれば
「遺族も会葬者も、どうせ発信人の名前と肩書しか聞いてないから…」と。
だからといって葬儀の終盤に読む(代読する)ことが多い「弔電」について、
司会者が下手でもよいという理由にはならないだろう。
下手くそに読ませる弔電ほどたちの悪いものはない。
何を考えて読んでいるのか、と言いたくなる。

もし司会者が、「巧みに弔電」を表現できれば
「遺族や会葬者は、感動して聞く」と断言できる。
折角のチャンスを逃しているのは誠に残念だ。
要はどう表現したらいいのか知らないのだから、習いに来てほしい。
この法則やルールは、学校でも教わらない。
だから「どうせ発信人の名前と肩書…」そんな発想しか生まれないのだろう。

司会をスタッフにやらせる会社側も理屈があることさえ知らないので可哀そうだが、
やらされる側も、理屈を教わることもなく、どうやっていいのかも分からないまま。
厳しくいえば、無知からは何も生まれない、どころか悪癖だけが連鎖のように連なる。
これがこの業界の悪しき実態の一つだ。(残念)

今回講座をリニューアルしたが、一番変わった点は
「マイクを使わせ、実際にチャレンジさせる時間を圧倒的に増やしたこと」である。
その中で、私が理屈に則って実演し、分からせていく。
皆、表現の理屈は簡単で、言われてみればとスッと落ちるように理解するが、
いざ「じゃ私の真似をして、やってみて!」と言ってもすぐには出来ない。
山本五十六ならば、

やってみせ、
言って聞かせて、
させてみせ、
ほめてやらねば、
人は動かじ。

となるだろうが、そんなに簡単にいく訳はない。
私の講座では、

やってみせ、
言って聞かせて、
させてみせ、
ほめても、けなしても、
口は動かじ。

となるのだ。
つまり、頭で理解しただけでは不十分である。
マスターするのに個人差はあるけど、ある程度の時間が必要だ。
何故、すぐ同じようにできないか?
一番は、フィジカルが足らないのである。
技術系の物は頭だけでは、完成しない。
これは野球でもサッカーでもテニスでも、大工でも料理人でも同じである。
しかし、一日マイクを使わせて実演中心にやっていたら、
少しずつ巧くなる人が誕生する。

それから短期間で上達する人は、こちらの言うことを素直にやってくれる人が多い。
自分のプライドとか恥ずかしいとか、かなぐり捨てて丸飲みする素直な人。
簡単にいうと、真っ新な人…つまり新人である。
新人は、一番研修効果が高い。

この日のテーマは、「発声滑舌」と「弔電」と「ナレーション」
皆それぞれに上達したけど、新人と素直な人が一番巧くなった。
疲れた…では【実践編】に続く。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2013年11月14日 08:30

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