実は「葬送の自由をすすめる会」のことなのです。
(葬送の「S」自由を「J」すすめる会「S」)
何だか妙な気もしますが…
ところで、葬祭ディレクター技能審査試験では、1991年相模湾で、
自然葬という名の散骨を行ったのは「葬送の自由をすすめる会」である。
というのは常識なんです。
今ではNPO法人ですが、1991年2月の会発足にあたり、
当時の安田睦彦会長が「自然葬」という言葉を初めて使われました。
この「自然葬」という言葉は、結構な反響がありまして、
結果、1995年には大辞林に収録、1998年には広辞苑に収録されました。
まあ、言葉とはそういうものでしょう。
自然葬という自然の大きな循環の中へ回帰していこうとする葬送の方法は、
従来の墓石を必要とする葬法とは違い、反響はありましたが、
そんなに流行るとは思えなかったのが、当時の普通の感覚です。
ところが現在、海や山、宇宙への散骨もありますし、
骨灰にして手元供養の商品も多岐にわたります。
20数年経って、今や自然葬が立派なビジネスになっている状況をみると、
思っていたより世間の動きが早いのかもしれません。
あの当時、墓石業界が一斉に反対したのは理解できます。
今「SJS」が、またまたビックリな話題を提供してくれました。
「0葬」です。
直葬とかワンデーセレモニーとか、そんな生易しいものではありません。
「自然葬」から「0葬」へと題した文章には、0葬の説明があるのですが、
簡単に言えば0葬とは、火葬場で遺骨を引き取らないということです。
何も残さないから、0葬というネーミングなのでしょう。
私は、遺骨を引き取らない…それだけで違和感があります。
勿論、税金で火葬をするということでしょうが、
墓や納骨堂があり、遺骨を欲しい人は有料で…ということかな。
だって、今の勢いで死亡者が増え続けると…10年、20年後は大変だ。
この「0葬」を、私見という形で発表されたのは、
葬祭業界ではお騒がせな人物として有名な島田裕巳氏。
(葬式は要らないの著者)
実は「SJS」の新しい会長です。
さすがに会員の中でも賛否両論、多様な意見が出ています。
我が家は、敷地内に墓があるという恵まれた環境ですけど、
それでも、一般論に戻って20年後、40年後、
墓を守っていく人がどれほどいるのか?
と問われれば、頭を抱えないわけにはいきません。
さてさて、今後の動きはどうなるのでしょう。
確かに関心があります。
皆さんも、考えてみましょう。
リンクを貼らせていただきました。
「淳和天皇の散骨」