実はこれからレンタカーを借り、知覧特攻平和会館へ行くのだ。
どうしても特攻隊の現場をこの目に焼き付けておきたかった。
私の父は、生きていれば103歳。
大正元年(明治45年は7月29日まで)生まれなので、あの戦争に参戦しています。
海軍で生き延びた話は、父が友人と話をしているのを聞いただけですが…
それより「永遠の0」の影響が大きいのでしょう。
折角近くまで行くのだから…と、決意しました。
それとも私も歳を取り、過去にはこういう青春もあったのだと、
日本の現実を知るためにいくのでしょうか。
レンブラントホテルから知覧特攻平和会館へは、1時間以上掛かります。
レンタカーの契約する時間ももどかしい。
だって、埼玉~羽田まで2時間、羽田~鹿児島まで2時間、
そこからリムジンバスでホテルまで1時間半、ここまでトータル5時間半。
そしてここから知覧まで1時間以上となれば、私が7時に家をでても現在1時半。
焦りますわ、ヒヤヒヤものです。
結局、道がガラガラ(祭日です)3時に知覧特攻平和会館到着。
特攻の話をテレビや映画で観たり小説等で読むのと、
実際の遺書を目の前で見るのとでは大きな違いがありました。
本物だけが持つ「迫力」に押されます。
行って良かった…目に焼き付けて良かったと思いました。
出来たら子供たちを連れて行きたい、そう思いました。
知覧特攻平和会館は、写真撮影が禁止なので館内の写真はありません。
(韓国の方だけがバチバチ撮っていましたが)
そこで、会館の外に建てられた「三角兵舎」を紹介します。
まるで映画のセットでしたが、凄みはありました。
敵機に発見されないようにとの目的から、半地下式の木造で屋根には樹木が
被せられていたらしいが、その形から「三角兵舎」と云われます。
風通しは悪く、いつもジメジメしていたというが、ここで隊員たちは
最後の夜を過ごし、談笑したり、遺品を整理したり、遺書を書いたり…
また知覧特攻平和会館のなかでは、30分のスライドショーがあり、
開場はほぼ満席、しかも7~8割の方がハンカチで涙を拭う。
自分の身内でもないのに…そうなる気持ちは十分理解できます。
ここは観光地ではありませんが、行くべきところなんだと思いました。
さて、その後の二日間に亘る葬祭ディレクター技能審査試験対策は、
鹿児島・宮崎・熊本の3県合同で行われ、無事に終わりました。
ご参加の皆様、大変お疲れ様でございました。