この四字熟語は、生涯に於いて人との出会いの大切さを説いた言葉であろうが、
仏教に於いて生涯とは…ある意味「老少不定(ろうしょうふじょう)」である。
「老少不定」という言葉は仏教語で、イマイチ人気がないけれど、
人の命の無常を示す言葉で、老人が先に死に、少年が長生きするとは限らない。
蓮如上人の白骨の御文章として有名な言葉
「朝(あした)には紅顔有りて、夕べには白骨となれる身なり~」だ。
(実は、この出処は後鳥羽上皇の『 無常講式』である)
命には、保証も定まりもなく、結局、いつ死ぬかわからないことをいっている。
逆に言えば、お年寄りから順番に亡くなるのは、とても幸せということになり、
一休宗純が蕎麦屋の開店祝いに贈ったとされる有名な色紙。
親 死ぬ
子 死ぬ
孫 死ぬ
開店祝いに「死ぬ」が三連発だから、店主の呆れ顔が浮かぶ。
ネットやTVや新聞で流されるニュースでは、不慮の事故等で命を落とす子供達。
ちょっと前まで元気でいたかと思うと、やりきれなさは無常である。
そして無常と云えば、戦後最悪の火山災害となった御嶽山の噴火もそうだ。
「お山は晴天 六根清浄」と、金剛杖を片手に白衣を纏った人たちが、
この言葉を唱和しながら山を登る姿を目にする。
古来より、天に近い所である山の頂上には神仏が居るとされてきた。
そこで、清浄な山へ入り、人々は身も心も清らかになろうとしたのだ。
六根とは、目・耳・鼻・舌・身・意のことで、身体の全てである。
金剛杖や白衣を纏っていなくても、
大自然の中に身を置き、自らを見つめ直す…つもりが…自然は怖い。
神や仏は…いるのだろうか、と思わずにはいられない。
ご冥福をお祈りします。