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2015年01月15日

拝むということは、拝まれていること (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

真宗の「心に響く言葉」の中に、表題に似た言葉がある。
そしてわが身の周りを見て思うこと…

知人は学生の頃に癌で親を亡くした。
癌が発覚して命尽きるまで、それはあっという間だった。
青春時代にくっきりと刻まれた哀しい思い出の一つ。

以来、知人は毎月1~4回ほど墓参りに行く。
学生時代から20代~50代となる今日まで、それは続いた。
親を慕う心、親の冥福(真宗ではアウト)を願う心は美しい。
何より、数十年間続けてきた墓参りという行為があるから本物だ。

 

しかし、知人が親を想っているのは事実だとしても、
本当は、逝った親に拝まれているのだという。
親は、今でも我が子を導こうとしている、心配しているのだ。

親とは、そういうものだ。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2015年01月15日 08:30

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