きっと「ナム・サッダルマ・プンダリカ・スートラ」の言葉に興味があったのだろう。
これらは全てサンスクリット語、そして意味は、
ナムは南無…尊敬します、あなたに従います、のような意味。
サッダルマは、正しい法、妙なる法ということ。
プンダリカは、白い蓮の花。
スートラは、経典
つまり「南無妙法蓮華経」ということです。
だったら最初から、南無妙法蓮華経といえば良いのにと思ったのだろう。
恐らく付箋の意味はそうだろうが、本は「法華経を拝む」(上・中・下)。
荒崎良徳氏が書かれた本を久し振りに読み返していた。
というのも、鳩摩羅汁(くまらじゅう)のことをエッセイにしようと思ったから。
鳩摩羅汁(くまらじゅう)とは、お経本を翻訳した有名な方。
翻訳と云っても日本語にではなく、サンスクリット(梵語)経典を漢語に訳した。
あるお経の中には、サンスクリット語でこう書かれていたという。
「釈尊は右の手で、菩薩たちの右手を取って…」
ところが、それに該当する部分の翻訳は「釈尊は、頭を撫でて…」となっている。
鳩摩羅汁の翻訳は意訳、否、創作といってよいほどの味わいがある…
というようなお話が「法華経を拝む」にでてくるのです。
※インドでは右手は聖なる手、左手は不浄の手。
また宗教上の観点から頭(髪)を撫でるのは問題があるケースも。
鳩摩羅汁は承知の上で漢語に訳しています。
鳩摩羅汁という方は、二大訳聖の一人。
もう一人は、孫悟空で有名な猪八戒(軽いボケ)ではなく、
夏目雅子でもなく(古っ)、夏目が演じた三蔵玄奘法師。
※三蔵とは、仏教聖典(仏典)の総称。具体的には、律蔵・経蔵・論蔵。
(ちと、難しいから先へ行きます)
対比される人を出されて、初めて鳩摩羅汁の偉大さが分かると思う。
しかも、鳩摩羅汁の方が先なんだよね。
聞きなれないけど、三蔵法師鳩摩羅汁と書いてもよいのだが、
実は、鳩摩羅汁が僧侶かどうかという問題点がある。
その数奇な運命とは…
鳩摩羅汁は、現在ではインド北部とパキスタンの国境付近のカシミール辺りで、
オアシス都市国家として栄えた亀茲国(きじこく)の王様の妹を母として、
西暦344年に誕生。7歳で母と共に出家、西域諸国を巡歴して仏教を学び
二十歳の頃には、その名声が広く中国にまで伝わったという。
そこで当時の中国の王は、鳩摩羅汁が欲しいがために亀茲国を滅ぼすが、
彼が僧であるため捕虜として連れ帰ることができません。
(僧侶の特権だったようです)
そこで一計を案じ、無理やり酒を呑ませた上、
一室に閉じ込め…若くて美しい娘を抱かせたという。
(枕営業かい!…またボケます…枕営業戒???)
飲酒、女犯の破戒を強制したのです。
こうして卑劣な策略によって僧としての待遇が与えられなくなり、
念願の中国へ連れて行くことが叶いました。
(伝統的に、中国はそんなことするのか)
※因みに我が日本では、明治5年太政官令で僧侶の肉食・妻帯・蓄髪が許されました。
中国(長安)では、僧侶ではない鳩摩羅汁を国師(王様の師匠)として優遇しますが、
その間も、彼のような頭脳明晰な人材を一人でも多くとの思いから、
美女を何人も鳩摩羅汁に押し付け、子供をたくさん産むように命じたらしい。
羨ましい…ではなく、鳩摩羅汁には女難の相有りかも…ごめんまたボケたい(女難の僧)。
彼は70歳でこの世を去りますが、
「私の翻訳に誤りがなければ、遺体を火葬しても舌だけは焼けないだろう」
と、言ったというのですが、わけがわかりません。
焼け残るはずはない。
そして伝わっているのは、舌だけは灰にならなかった…だって(やっぱりね)。
まあ、中国的なお話で終わっているのですが、彼は訳僧と呼んでいいのか、
(ゴメンもう一回だけ、焼僧)
堂々と「僧」という言葉を付けてよいのだろうか。
微妙です。
その生涯を、中国に翻弄された鳩摩羅汁ですが、
彼のお蔭で素晴らしい法華経を拝めるのです。
そして恵まれた生涯ですね。
<余談>
鳩摩羅汁の「鳩」の字を「く」と読みますが、
これはハトが「クックー」と泣くところから、
「鳥」に「九」を付けたそうです。
(トリビアー! 古っ)