今年、徳川家康没後400年ということで「徳川時代に学ぶ」という勉強会に参加した。
(アウトプットの多い仕事だからインプットしなくちゃ、と云う話は書いたはず)
そこで習ったことは、学校では教えてくれない面白い歴史の話の数々。
そして、歴史上の人物に対するイメージは、教科書やメディア(TV)等によって
作り上げられてきたのではないか、と思った次第だ。
少し歴史を振り返ってみよう。
戦国100年と云われているが、応仁の乱~関ヶ原…一番長くとったバージョンだろう。
これだと、1467年~1600年だから約130年間である。
恐ろしい戦乱の130年は、強い者が勝つ…勝った者が正しい、只それだけ至極単純。
極論すれば、親だろうと兄弟だろうと先輩だろうと関係ないのだ。
これまでの日本がそうだったし、そういう荒れた世の中で、刀がモノを言う時代に、
邪魔者を徹底的に懐柔したり、時には狂おしいほどに叩き切ってきたのが織田信長。
「下剋上」…この時代を表現するのに一番分かりやすいのではないだろうか。
下克上とは、日本史において下位の者が上位の者を政治的・ 軍事的に打倒して
身分秩序(上下関係)を侵す行為をさしている。
こんな時代を天賦の才で生きた織田信長、人気が高い…凄まじい残忍さなのに。
信長の人気が高いのは明治時代になって以降、我々に植え付けられたイメージによる?
何故なら、徳川時代は、かなり平和という事にこだわった節がある。
それが、民の声だった…流石にもう戦争は嫌だと、誰もが思った。
それ以前の考え方である下剋上なんてとんでもない。
だから265年間、戦争などない…これは、明治以降から現在までの日本が、
僅か150年間しか経ていないのに4度(日清・日露・第一次・第二次)も、
大きな戦争を経験しているのと比較すれば、いかに徳川の時代が平和だったか分かる筈。
だから徳川には…あまり良いイメージを持って欲しくはなかった…そういう人々が
存在したと思うのは、近年の政治家を看るのに、あまりに穿った見方か、偏見か?
いずれにしろ徳川は、緩やかな経済成長と穏やかな平和を望んだのであろう。
もう少し江戸時代を検証してみると、バブル期が何と2回もある。
昭和のそれほど大きくはないが、元禄バブルと化政バブルだ。
政策も良かったのだろうが、町人や農民までが潤った。
意外に思うかもしれないが、江戸時代の農民は以前と比較して圧倒的に豊かになった。
米以外の農作物は、ほとんどが生産者の物とした地域(藩)が多い。
豊かになった農民は生活に工夫を凝らし、町民と一緒に市井の文化にも、
それこそ祭りや様々な行事や、宗教活動にまで参画したのだ。
テレビでは、やたらと寒村に於ける飢饉の事柄が取り上げられるけど…
その方が劇的だからだろうが、本当にそれだけか?…他意はないのだろうか、
だって、農民が少しだけ裕福になった時代なのに…
明日に続く
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