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2015年04月10日

浄土真宗の教え8 (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

浄土真宗中央仏教学院の通信科の「専修課程」(僧侶養成コース)に、
3年間通ったところまでは書いた。
その続きである。

初年度、僧侶養成コースには約50名がいた。
寺族の方が多い。また平均年齢が高い。
これは中央仏教学院の「学習課程」や「入門課程」とは少し違う。

 

各コースは以下。
専修課程
• 浄土真宗本願寺派の僧侶資格取得をめざす。
• 3年間で8教科22科目を履修
学習課程
• 浄土真宗、仏教の学習
• 3年間で5教科15科目を履修
入門課程
• 浄土真宗や仏教の初歩的な教えを学習
• 1年間
自分で云うのも照れくさいが、専修課程はそれなりである。
試験で落ちる人が続出するし、とうとうそのまま中退という課程を辿ることになる。
私も1年目は軽く通ったが、舐めて掛かった2年目は1科目赤点(追試はない)。
最終学年になれば、かなり厳しくなるのに、その上ひと科目多いのは困った。
結局、あっさりと卒業出来たが、最初50人在籍していたメンバーで、
3学年までいたのは10人、更に卒業できたのは6人だった。
専修課程は入学するのが小難しくて、卒業するのも面倒だった。
そして僧侶になっているのは3名…そんなものだ。

ではクイズ。
(出典 クイズ浄土真宗参照)

質問1
他力本願の本来の意味は?

1. 人の力をあてにすること。
2. 阿弥陀仏の大悲のはたらき。
3. 運を天に任せて祈ること。

答え



2番です。
「他力」と云うのは、「他人まかせ」ではありません。
「自力」に対する「他力」なのですが、「自力」とは、「自分の力」というより、
「自分の力への執らわれ」を意味します。
浄土真宗は、この限りある自力への執らわれを離れ、
限りなき阿弥陀の力(はたらき)にゆだねてこそ、絶対安心の境地に至るのです。
これを「他力」と呼びます。
「他力というは、如来の本願力なり」です。


質問2
阿弥陀仏の前身である菩薩の名前は?

1. 法蔵菩薩。
2. 観音菩薩。
3. 弥勒菩薩。

答え



1番です。
阿弥陀如来=阿弥陀仏。つまり「如来」という位=「仏」なのです。
そしてその前が「菩薩」という位なわけでして…宗派により微妙に異なります。
正信偈にも出てくるように「法蔵菩薩」が正解なのですが、
法蔵菩薩の時にリーチが掛かって、ついに上がった、ということかな。
(恐らく、怒られます)


質問3
以下の中で、仏教にないものはどれでしょう?

1. 諸行無常
2. 諸法無我
3. 霊魂不滅

答え



3番です。
諸行無常…全ての存在は常に刻々と変化している。
諸法無我…諸行無常を展開すると、固定的な「我」というものは何処にもありません。
そして、執着を離れ、あるがままとなった時の心が「涅槃寂静」です。
肉体から遊離して、霊魂は有り続ける、というような「霊魂不滅」の捉え方は
仏教にはありません。


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投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2015年04月10日 08:30

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