福岡県のY葬儀社に勤務する熱血担当者です。
加藤先生、井手先生、講習の際は大変お世話になりました。
さて、先日担当者研修会があり、その講義の中で
【享年】と【行年】の違いに触れてあったそうです。
<享年>・・・何年生きたか。従って「歳」はつけない
<行年>・・・何歳まで生きたか。従って「歳」をつける
と、資料には書いてあります・・・(中略)・・・ということで、
もう少し詳しく教えていただけないでしょうか、宜しくお願いいたします。
困りましたね、実際の研修資料を拝見したわけではありませんが、
ご質問の内容を素直にそのまま受け取れば、
この講師はかなり個性的・独断的解釈をされているかもしれません。
ただ、実際の講義の中ではもっとフォローや説明をされているのでは…。
<享年>や<行年>については、教える側の立場の違いなのか見解の相違なのか、
一般に様々な説明が存在し、意見(解釈)が分かれる部分も多いようです。
まずはその解釈において代表例を列挙し、その中から結論を導くことに致しましょう。
①享年とは「天から享(う)けた年数」という意味で、この世に存在した年数のこと。
②享年と行年は同じ意味で、「死んだものがこの世に生きていた年齢」という意味。
③享年と行年は同義語で、「この世に生きていた間の年齢」という意味。
④行年とは「修行した年数」つまりこの世、娑婆世界に修行に来た年数のこと。
⑤行年とは、生まれてから経た年数で、特に仏教語というわけではない。
⑥行年と享年は同義であり、どちらもこの世に生きた年数とか死亡時の年齢の意。
ただ語感よりすれば、行年は浄土へ赴くとか来世へ旅立つとかの意をうける。享年は頂
戴した生命を一生懸命燃焼させていただいたとの意をうける。(どちらも趣のある語)
⑦享年と行年を同一視し、天から享けた寿命の年数として亡くなった時の年齢を指す。
とりあえずこれで検証していきましょうか。(フー)
ここでのポイントは「年数」か「年齢」か、ということですね。
①享年とは「天から享(う)けた年数」という意味で、この世に存在した年数のこと。
①ならば、<享年○○歳>という表現が成り立ちます。
②享年と行年は同じ意味で、「死んだものがこの世に生きていた年齢」という意味。
②ならば、享年が既に年齢の事を指していますので、<享年○○>という表現が正しい。
③享年と行年は同義語で、「この世に生きていた間の年齢」という意味。
③も同様ですが、ただし行年についても同じことが言えます。
つまり<行年○○><享年○○>となって、<行年○○歳>とは言いません。
④行年とは「修行した年数」つまりこの世、娑婆世界に修行に来た年数のこと。
④ならば、<行年○○歳>という表現が成り立ちます。
⑤行年とは、生まれてから経た年数で、特に仏教語というわけではない。
⑤ならば、<行年○○歳>という表現が成り立ちます。
⑥行年と享年は同義であり、どちらもこの世に生きた年数とか死亡時の年齢の意。
ただ語感より、行年は浄土へ赴くとか来世へ旅立つとかの意。
享年は頂戴した生命を一生懸命燃焼させていただいたとの意。(どちらも趣のある語)
⑥ならば、<享年○○・行年○○>または<享年○○歳・行年○○歳>
どちらの表現も成り立ちます。
⑦享年と行年を同一視し、天から享けた寿命の年数として亡くなった時の年齢を指す。
⑦ならば、年齢のことですから、享年も行年もいずれも○○歳とはなりません。
<享年○○・行年○○>の表現が正しい。
このように様々な解釈が存在します。(大変だわ)
以上代表的7つの解釈からのデータでは、
享年に○○歳と付くのは2。
享年に○○とだけなのは3。
行年に○○歳と付くのは3。
行年に○○とだけなのは5。
あまり代わり映えしない結果ですが、いかがでしょうか。
ただ<享年>も<行年>もどうやら同じ長さを示しているのは確実のようです。
更にはいずれも、「○○歳」または「○○」と歳を付けたり付けなかったり。
ですから、資料に書かれている事は、
「かなり個性的・独断的解釈をされているかもしれません」と申し上げたのです。
ここで【1】問題を出しましょう。
「享年74歳」と「享年七十四歳」と二択の問題で、どちらの表記が正解?
とくれば、まず皆さんは「享年七十四歳」を選びますよね。
ピンポーン…正解です。
では次の【2】問題です。
今の答え「享年七十四歳」の表記についてですが、
一般に正しいアナウンスに表記を直し、更に全ての読み仮名を書きなさい。
答えは…
表記は「享年七十四」と修正し、読み仮名は「きょうねん・しちじゅうし」が正解です。
しかし実際には、読み仮名を「きょうねん・ななじゅうよん」と読む人が多いのでは。
さて、意味もなく寄り道をした訳ではありません。
言葉というのは、生き物で時代と共にその解釈も移り変わります。
一つ例を挙げれば、「貴様」なんて言葉は、今では蔑みの意味しか持ち得ないでしょう。
(方言では違う解釈もあります)
しかし字面から見ればとんでもない話なんですよ。
字面から受ける印象と実際の意味合いがこれだけかけ離れるのも珍しいですが。
そろそろご質問にお答えしなくては。
私の考えですが、<享年><行年>とは一般に同義語であり、
「天や大自然から享(う)けた年数」という意味を表しこの世に存在した年数のことです。
しかし、権威あるアナウンスの定番では、少しばかり解釈が違います。
<享年><行年>とは、ずばり年齢を指していると解釈しているようです。
ですから【2】問題の回答が上記のようになります。(読み仮名も含めて)
私の場合、葬祭の司会者として仏教的解釈を加えているのかもしれません。
死んでなくても、今私は享年あるいは行年46歳という考え方が根底にあります。
そして語感の持つイメージとして、故人の年齢を紹介するのに、
「享年(行年)七十四」と紹介するのと「享年(行年)七十四歳」と紹介するのとでは、
悲しみのご遺族様に対しての、当たりの柔らかさが違うと思っています。
NHKのニュースを読むアナウンサーとは少し感性が違って当然だと思うわけです。
ニュートラルな立場で、事実を正確に伝えるのとは違うと思います。
とはいえ、実際の現場では私は使い分けています。
大きな社葬になると、享年○○と言うこともありますよ。
会社の行事ですからね、選択する場合の優先順位が変わるのです。
そして享年と行年の使い分けは、特に指定がなければ位牌に合わせるようにしています。
折角ですから、またまた少し脱線しましょう。
享年や行年は、数え年と一致するケースが多いでしょう。
ですから、数え年=享年=行年という誤った認識が広まっています。
数え年の計算方法は、生まれた歳を1歳として、年が変わるたびに1歳ずつ加齢します。
現在の役所関係では満年齢表記が基準ですが、では仏教では何故数え年なのか?
(昭和25年12月22日までは数え年が正式表記でした)
それは母親の胎内に命が宿った時から計算するからです。
呱々の声を上げた時が誕生ではなく、お腹の中に存在する時から大切な命として
カウントしているわけですね。
お腹の中に存在するだけでは、人間の命としてカウントしてもらえない
現在のお役所仕事とは明確に一線を画しているのです。
素敵な話でしょ、少しは仏教にもいい所があるでしょ。
喜寿(七十七歳)や米寿(八十八歳)の長寿のお祝いも数え年ですよね。
(死ぬ前に早いとこやっちまおうということではありませんぞ…ごめん)
理論的に数え年と、享年・行年を比較しますと、
数え年は、生まれた時に1歳、以後正月ごとに1歳加齢。
享年・行年は、誕生日の十月十日前から、死を迎えるまでの年を数えたもの。
ですから、必ずしも数え年と享年・行年が一致するわけでもないのです。
そして地域や各寺院の考え方により、享年・行年の考え方も違ってきます。
地域の慣習が一番優先されているのが現実だろうと思いますよ。
私の属する浄土真宗本願寺派でも、法名に享年や行年を用いていますが、
満年齢で記しているものが結構あります。
(実情に照らしての判断だろうと思いますが)
参考までに、仏教辞典によれば享年・行年とは、天・大自然から享(う)けた年数
という意味で、この世に存在した年数のこととあるようです。
「この世に存在した」という意味の解釈を誤らないことですね。
いずれにしても、享年や行年というのは、
大宇宙・大自然、そんな命の源から誕生した尊い生命が、またそこへ還っていく…
その意味が、享年や行年という言葉に込められているのであって、
仏教的な素晴らしい考え方を反映しているものでしょう。
寿算とも言いますからね。
私の考え方と私の実際の司会での使い分け、またその他の資料は提供しました。
そこでご質問の中にある
「さて、先日担当者研修会があり、その講義の中で
【享年】と【行年】の違いに触れてあったそうです。
<享年>・・・何年生きたか。従って「歳」はつけない
<行年>・・・何歳まで生きたか。従って「歳」をつける
と、資料には書いてあります」
ですが、んー講師の方には申し分けないですけど、私には納得がいきませんね。
そんな単純な考え方ではないと思っています。
冷たく突き放すわけではありませんが、特に正解というものがあるとも思えませんし、
私の考えを押し付けるつもりもありません。
最後は、地域の実情に照らし合わせて、
一番しっくり来る表現を選択されたらいかがですか。
私の電話番号知ってるくせに、わざわざご質問ありがとうございました。
お陰で答えるのに2時間も掛かりました。(笑)
ホームページは、割に合いません。(笑)
次は心優しい人からの、簡単なご質問を募集します。(笑)
井手一男
|