2007年12月27日

「ぼいす隊・マム」クリスマス・ライブコンサート(加藤直美)

私が主宰するコーラスグループ「ぼいす隊・マム」のクリスマスライブがありました。
今年は、親子のためのバレンタインコンサート(区立児童館)、
新1年生歓迎ライブ(地元小学校)、ホスピス納涼祭ライブ、
地元中学校フェスタと、活動も忙しかったです。
もちろん仕事の合間の活動なので、リハーサルの日程取りや、
メンバーをまとめたり・・・私がやりたい音楽を創造し、
楽しむことが目的ではありますが、音楽以外の仕事も多く、結構大変でした。
でも、歌い終わったときの達成感や、お客様からの拍手、
みんなで一緒に歌う体験は、何にも変えがたい喜びとして私の中に残ります。
そして又、次に向けて頑張るエネルギーが湧いてくるのです。


12月は、2回、クリスマスライブがありました。
1回目は地元小学校の休み時間ライブ。
子供の中にはファンもいてくれて、休み時間のベルが鳴って歌が始まると、
急いで会場まで駆けつけてくれます。
2回目は、地元の高齢者施設でした。
ここには春の頃に1度伺っています。
子供を前にしてのライブとは、雰囲気は随分違います。
中には、居眠りをするおばあちゃまも・・・。
でもほとんどの方は、ニコニコとしたお顔で、私たちを見てくださり、
ご存知の歌になると一緒に口ずさんでくれます。



今年のクリスマスシーズンのために、私は「ハンドベル」を買いました!
来年は、「ハンドベル」を極めようと決心し、購入。
今年頑張った自分へのご褒美でもあります。
もちろん一人では出来ませんので、「ぼいす隊マム」のレパートリーとして
徐々に増やしていこうと思っています。
23音が揃っているので、どんな曲でもそこそこ演奏が出来ます。
今回のライブのプログラムです。
オープニングが、ハンドベルで「アニーローリー」「エーデルワイス」「童謡メドレー」
(さくらさくら、朧月夜、花、夏の思い出、もみじ、七つの子、小さい秋見つけた・・・)
これには、お年よりも多くの方が一緒に歌ってくださいました。
「讃美歌」(牧人ひつじを、あめにはさかえ、諸人こぞりて)、
次が、私のソロ「ホワイトクリスマス」そして、「クリスマスメドレー」
(荒野の果てに、クリスマスおめでとう、クリスマスイヴ、赤鼻のトナカイ、
清しこの夜)「千の風になって」「アメージンググレース」でした。
今年はなんと言っても、「千の風になって」ですね。
小学校の子供たちも、お年寄りも、大きな声で一緒に歌ってくれました。
今年最大のヒットでしたね。



次回のライブは、2月に親子向けコンサートが予定されています。
やっぱりここでは「おしりかじり虫」ですね。
そろそろコーラスアレンジの準備に入ります。
クリスマスには、メンバーの数人で、病院のキャロリングサービスのお手伝いをします。
クリスマスに讃美歌をいっぱい歌える、最高のライブです。


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2007年01月21日

プチうつ気分を歌い飛ばせ!(加藤直美)

毎年、音楽に関する仕事が重なる。
研修会の出張と入り乱れてスケジュールは目一杯になる。
あと少し、健康に留意しながら乗り切ろう!と思う。

杉並区荻窪社会福祉協議会からのご依頼で、
ミュージックセラピーをさせていただいた。
集まる方は、就学前のお子さんを持つお母さんたち。
テーマは「プチうつ」。

小さいお子さんを抱え、毎日の育児や家事に忙殺されるお母さんたちには、
少なからず「うつっぽい」症状を抱える方が多いと聞く。
今や全国的にも「うつ」症状を抱える方は増えているという。
「うつ病」と「うつ気分」は異なる状態ではあるが、
多からず少なからず、生きて頑張っていれば大変なことばかりで、
逆に、頑張っていれば、上手くいかないことや人間関係などに悩むことは、
誰にでもあり、少しくらいの「うつ気分」に陥ることは、
もはや当たり前なことかもしれない。
ただし、「落ち込んだ時や、うつ気分になった時に、どうするか」
ということが大事なのだ。

この私も一昨年、手術・入院に伴う病気後のうつを体験した一人だ。
又、その時に、MRIという機械の中でパニック発作を起こし、
その後のうつ症状も克服している。
これは誰にでも、いつ襲い掛かるか分からないもので、
決して他人事ではないということだ。



この日はそんなお母さんたちのために、育児疲れや、もやもやした気持ちを 
声を出すことや、歌って発散するためのプログラムを組んだ。
「もやもや、うつうつ、イライラ」を感じた時に、
そういう自分を否定しない方法や、おまじないの言葉、
気持ちを軽くするための様々な儀式を作るお話など、
私の経験の中から楽しくお伝えさせていただいた。



そして、次はセラピーの実践。
①カラダのねじを緩めるように、体の関節をほぐして行く。
②ゆっくりと息を吐き出して、肺の中にある汚い空気を出し切る。
③出したい声を出す。
「ヤッホー」とか「えいやあ」などという掛け声や「もう、嫌だ~」と叫んだり・・・。
家の中や子供の前では言えない本音、そして大声。
普段は出せない分、この場所ですべてのストレスを発散してもらった。
④そして、思う存分に歌った。
この日は、ハナミズキ、花、アメージンググレース・・・。



それぞれのお母さんたちが、ひとりの女性に戻って、
思う存分に自分を解放してくれたと感じる。
その後、会報誌に載せる文章を頼まれた。
以下がその文章だ。

『昨年に引き続き、今年は「プチうつ気分を歌いとばせ」というタイトルの、
ミュージックセラピー「はっぴーぼいす」をさせていただきました。
集まったお母さんたちは、子育て真っ最中。
自分のことを横に置いて家族のために頑張っている年代の皆さんです。
どうしても頑張り過ぎてしまう時、うつうつ、もやもや、
イライラが襲いかかることは誰にでもあります。
それは、心からのメッセージ。
自分の気持ちと向き合うチャンス。
そんな時には、カラダのねじをゆるめるように、ゆったりとしましょう。
そして「よくやっているね」「がんばっているね」と、
優しく自分をほめてあげましょう。
自分の状態を受け入れてあげることで、心がやわらぎます。
そして気持ちを発散することも大切です。
大きく深呼吸をしながら「おお~~」っと声を出してみます。
「やあ~」って叫んでみます。
そして、声とカラダがひとつにつながるような感覚で、歌いましょう。
好きな歌、楽しい歌、上手じゃなくていいのです。
思いっきり声を出すと、疲れが吹き飛びます。
不思議に元気が湧いてきます。
そして笑顔に、はっぴーになれるのです。
うつなんか、大きな声で歌いとばしましょう!』

「誰だって、体や心が辛い時には、我慢しなくていい。
そのままの自分でいていいんだよ。辛いときには、辛いって言おうよ」
というメッセージを込めてお届けした、ミュージックセラピーだった。

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2006年12月13日

弾き語りライブをしました (加藤直美)

今年の夏…
3回ほど音楽教室に講師として呼んでいただいた「視覚障害者の会」。
この忘年会で、30分ほどの弾き語りを頼まれた。
「音楽教室」の時は、3回分のテーマを決めて、
1部では音楽を勉強することを中心に講義もさせていただいた。
そして2部では歌うこと中心にたっぷりと楽しんだ。
そのときにも感じたが、皆さん歌がとっても好きで上手。
声も大きく出て、伸び伸びと歌ってくださる。
一緒に歌う私まで、すごく楽しい気分になった。
忘年会は、全体で3時間。
その一番最初に私のコーナーを作ってくださった。


この日は、マイクも用意してあり音響環境はバッチリ。
「音楽教室」で刺激を受けたという二人の若者が、
即席のデュオを作り、歌ってくれるコーナーもあった。

リクエストもいただいてあったので、全部で5曲を用意した。
ピアノはアップライトだが、調律がしてあって、なかなかいい音だ。
ピアノという楽器は、弾いても弾かなくても年に数回は調律が必要である。
私は、様々な場所に置いてあるピアノを弾くが、
時々、公共の場所にあるスタジオでもピアノの音がはずれていることがある。
一般のスタジオなら苦情を言うが、公共の場所では、
なかなか文句は言えないので黙っていることが多い。
最近、葬祭ホールにもピアノを置く葬儀社さんが増えているが、
ピアノを置いて、それを使うからには、その音まで責任を持つ必要がある。

この日のプログラム。
1曲目は「愛燦燦」。
美空ひばりさんの名曲、久し振りに歌った。
2曲目は中島みゆきさんの「時代」。
♪今はこんなに悲しくて・・・という歌詞が好きで、よく歌う。



3曲目はこの日のために準備をした「ヒットパレード・メドレー」。
1960年代頃に流行ったアメリカンポップのメドレーだ。
随分前に歌ったことがあるが、弾き語りでは初めてだった。
歌詞やコードを確認して練習を積んだ。
実は、この会は団塊の世代からそれ以上の年齢の方が多い。
音楽教室の時にアメリカンポップスのリクエストも出たが、
残念ながら時間の都合でかなわなかった。
そのために、忘年会ではこの曲を入れた。
あの有名な♪ザ・ヒットパレ~ド ザ・ヒットパレ~ド みんなで歌う!
というフレーズから始まり、ロコモーション、オー・キャロル、
小さな悪魔、ルイジアナ・ママ、恋の一番列車、悲しき雨音、
可愛いベービー、恋の売り込み、君は我が運命、悲しき街角、
キャロル、素敵な16才、バケーション、ダイアナ…と続く。
その頃に流行った、日本語バージョンの歌詞もあれば、
英語で歌う場所もあり、歌っていてもすごく楽しい。
弾き語りをしながら一種のパフォーマンスをしたような感じだった。
団塊の皆さんも大きな声で一緒に歌ってくれた。



そして4曲目は、リクエストがあった「ビリーブ」。
小学校などでも歌われる有名な歌。
歌詞がとっても素敵で、大人にも十分通用する歌だ。
5曲目は「時計」グラシェラ・スサーナも歌ったシャンソン。
最近は、ピアノをガンガン弾く歌よりも、
そっと歌に寄り添うような弾き方が好きだ。
シャンソンやカンツオーネも好きなジャンルで、弾き語りをよくする。
そして、最後にリクエストをいただいた。

全部で30分ちょっとの、私の弾き語りライブだった。
私をもっともよく表現することが出来るピアノ&ボーカルは、
これからも私らしく、どんどん続けて行こうと思っている。
聞いてくださる皆さんも喜んでくださるが、
私自身の疲れた脳みそやカラダが、最も癒される瞬間でもある。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 00:17 | トラックバック(0)

2006年10月26日

ホスピス・ピアノライブ (加藤直美)

ホスピスでのボランティア活動が、前回のピアノライブで1年目を迎えた。
出来る限り週に1度は伺うようにしているので、
ひとつひとつを思い出すことは出来ないが、その中でも印象が強いライブがある。

よく覚えているのは、戴いたリクエストと共に、
患者様やご家族とじっくりとお話をした時の思い出だ。
特にリクエストは、今でもその曲を弾くと、
それを聞きたいとおっしゃった方のお名前やお顔が浮かぶ。

1年前に弾き始めたのが秋だったため、
最初のリクエストは「真っ赤な秋」「里の秋」「もみじ」など秋の歌だった。
そして「椰子の実」「うみ」「夏の思い出」など日本の叙情歌も多かった。
中には「いとしのエリー」「遠くで汽笛を聞きながら」「卒業写真」
「この広い野原いっぱい」「芭蕉布」「海、我が愛」「思い出の渚」
「君といつまでも」など患者様の思い出の歌も多い。

枯葉が舞う季節になると、宝塚が大好きな患者様からシャンソンのリクエスト。
私は知っている限りのシャンソンを弾いた。
「人の気も知らないで」「ケ・サラ」「枯葉」「サントワマミー」「すみれの花咲く頃」・・・。
時々は私も歌いながら、ボランティアスタッフとハモリながら弾いた。

その時期に流行っている歌もリクエストが多かったし、
私と同じ年齢の方とは、フォークソングやユーミンなどを一緒に歌った。
仏文学を専攻していた男性からは「男と女」「第3の男」「シェルブールの雨傘」・・・
仏映画の音楽をとリクエストがあった。
ビートルズ世代の方とは「ミッシェル」「イエスタデイ」「ヘイ・ジュード」などを、
ビートルズ後期のアルバムから共に楽しんだ。
長崎のご当地ソングシリーズ
(長崎は今日も雨だった、長崎の鐘、長崎の夜はむらさき・・・)や、
クールファイブ、五木ひろし・・・などの男性ムード歌謡もリクエスト戴いた。
これはほんの一握り、まだまだある・・・。
色分けしたジャンル別のファイルは、7冊にもなった。
コピーをしただけでファイリングしていない楽譜も50曲以上ある。
そして、その1曲1曲が、その方々との思い出だ。

今リクエストを戴いているのが、
バドパウエルのピアノの名曲「クレオパトラ・ドリーム」というJAZZ。
私はリクエストをもらうとすぐに楽譜探しに入る。
我が家には楽譜が山程ある。
30年余りになる音楽の仕事で手にした楽譜は、
クラシックからオペラ、ミュージカル、ポピュラー、ジャズ…全部とってある。
どんな楽譜でも、捨てるなんてことは絶対に出来ない。

でもリクエスト戴いた中には、手元に無い楽譜も当然のごとくある。
すると友人に声をかけたり、インターネットで探す。
今の時代、インターネットから検索して、
楽譜をプリントアウトまで出来るようになった。
スゴイことだ!
そして夫の友人が探してくれて、
やっとこの「クレオパトラ・ドリーム」の楽譜が手元に届いた。

早速練習をする。
JAZZの歌は歌ってきたが、ピアノ演奏には慣れていない。
少しドキドキしながらのライブだった。
リクエストくださった患者様には、
「遅くなってゴメンナサイ」とお返事をして精一杯弾いた。
その患者様は、その日、あまり具合がよく無いようだったが、
多分ベッドの中で聞いて下さったと思う。
その方からはもうひとつ、「アランフェス協奏曲」のリクエスト戴いている。
頑張って練習しよう。
人それぞれに、生きた中での好きな音楽との接点がある。
その音楽の種類は、本当に人、様々だ。
患者様やご家族は、思い出の曲を聴きながら
「その生きた時間や、共有した人生に思いを馳せる・・・」

その一瞬のお手伝いが出来ればという一途な想いだけで、ここまでやって来た。
そして、2年目のピアノライブが始まった。

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2006年09月07日

お医者様の卵とミニコンサート~患者さまへの贈り物~(加藤直美)

今日のホスピスライヴには、
北海道の旭川からやってきた医大生が一緒に参加してくださった。
先輩からもらったギターを手に飛行機でやってきたらしい。
もちろん医学生としての研修を受けながら、
ホスピスでも様々なことを学んだとのこと。
今日が研修最終日、そして偶然、ライヴを行なう私と一緒になった。

今日のライヴには内科病棟に入院なさっている女性の方がわざわざ来てくれていた。
すでにご自身の病状はご存知で、近い内にホスピスに転院していらっしゃるとのこと。
ここは教会がある病院なので、クリスチャンの方も多い。
この方も、すぐに讃美歌のリクエストをくださった。
511番…その方の愛唱歌とのこと。
私には初めての讃美歌だったが、美しいメロディーがとても気にいった。

私は実家が浄土真宗、嫁ぎ先は真言宗だったので、
多分、最期は仏教葬で送られるのだろう。
でも、その内密かに洗礼を受けているかも知れない。
キリスト教のお葬式が私は好きだ。
私は讃美歌をよく知らない。
でも弾いて欲しいとリクエストを戴くことが多い。
初見でいつも一生懸命に弾いて差し上げる。

これがこの方と音楽を共にする最期かも知れない。
今のこの瞬間を大切に、最大限の心を込める。
4番まで弾く内に、慣れて行き私も歌う。
その方はこの讃美歌を歌いながら、たくさん、涙なさっていた。
その中にご自分の運命をしっかりと受け止めていらっしゃる潔さを感じた。
そして涙しながら、気持ちの整理をしていらっしゃるように見受けられる。
それは、ご本人にとってのグリーフワーク。
亡くなる前にご本人自身が苦しみながらも悲しみを越していく、
なかなか越せるものでは無いと思うが、「人の死に方」として、
「世の中には、最後まで自分の運命を怨んで逝く人もいる」ということを考えると、
運命のすべてを受け入れて旅立つ逝き方が出来たら、本当に素晴らしいと思う。
ご本人はもちろんのこと、周りのご家族も、
どんなに心安らかに見送ることが出来るだろうか…。
そういう逝き方が、ホスピスでは可能なのだ。

医学生とのミニコンサートは、ピアノの時間の最後に行なわれた。
その学生はギターを抱えて緊張気味に出てくると、ゆっくり弾き語りを始めた。
「翼をください」「若者たち」つかえるところもあったが、
さすが動じることなく演奏して行く。
私はこのライヴな感覚がたまらなく好きだ。

最期まで、QOL(生きることの質を高める)を目指すこの場所は、
すべての患者様の「今を生きる」為のサポートをする。
そしてそれはサポートする私たちの生きる質を高めることにも通じる。
私はそれを、音楽をつかってプレゼントしたいと思っている。
ライヴの最後は、私のピアノとデュオで「アメージンググレイス」だった。
私は医学生の声を暖かく包むようにピアノを弾いた。
一人だけのお客様に、心を込めてお届けした「ミニコンサート」だった。


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2006年08月31日

都盲連の音楽教室(加藤直美)

東京都の盲人協会支部からのお誘いで、7月から9月まで、
月1回の3回コースで、ミュージックセラピー教室が開催されている。
先日その2回目があった。
今までも多くの障害をお持ちの方々と、音楽の時間を持たせていただいているが、
目の不自由な方との教室は初めてだった。



それぞれの方に様々な事情と、その症状がある。
しかしそれぞれの方が、前向きで、心はもしかしたら私たちよりも健康だ。
暗闇の世界という日常が、私には分からない。
皆さんはその中で「日常を生きて」いる。
そこに健聴者が感じるような同情や憐れみは、かえって失礼なことになる。
私が音楽を通して、障害をお持ちの方とご一緒する時は、
極力普通に接するよう努力している。

全3回とも、前半は生活訓練事業といって、
何か勉強になるものをやって欲しいとのことだった。
打ち合わせでは、音楽に関することで、
何か知りたいことや、やってみたいことをお尋ねした。
又、歌詞をどうするのかということについても詳細に打ち合わせた。

1回目の教室では、「音について知りたい」・・・
というリクエストから講義させていただいた。
音には「調」があって、その中にも「短調」と「長調」があり、
又その中での「転調」の話しもした。
ひとつの歌を様々な「調」で弾き、歌い、上に転調するとこうなり、
下に転調するとこうなり・・・ということを音や言葉で説明をした。
皆さんは本当に熱心に聞き入ってくださった。
私が気をつけたことは、はっきりと言葉を届けること。
ゆっくりと伝えること。
活舌よくしゃべること・・・。
司会の勉強と同じだ。



2回目の講義は、「声について知りたい」というリクエストにお答えした。
私が得意な、ボイストレーニングを取り入れた。
声を出すには「身体」を知ること。
身体を楽にすること、呼吸をしっかりとすること、声を前に出そうと努めることなど。
実際に、呼吸法をしたり、身体をほぐしたり、実践していただいた。
その中で、身体が硬い方が多いような気がした。
気持ちを張っているというのか、やはり緊張した中での生活が多いというように感じた。
肩を揺らしたり、息を吐いたり、歌う前にたっぷりとトレーニングさせていただいた。

そして後半は、1回目も2回目も1時間あまりをたっぷりと歌う時間にあてた。
前もっての準備で、15曲あまりの歌いたい歌をピックアップしてあった。
いい日旅立ち、岬めぐり、ビリーブ、風、浜辺の唄、浜千鳥、夕焼け小焼け、
みかんの花咲く丘、グループサウンズメドレー、ヒットパレード、涙そうそう、
三百六十五歩のマーチ、小さな世界、真夜中のギター、川の流れのように等である。
これを当日には、メンバーの方が歌詞集に作ってくださった。
弱視の方用に大き目の文字で作る歌詞集と、全盲の方用には、点字の歌詞集だ。
点字で作るキットがあって、それで素早く作るらしい。
バインダーになっていて、立派に出来上がった歌詞集は、これからも使える財産だ。



メンバーさんによっては知らない歌もあるが、
1,2度ピアノを弾いてご指導すると、すぐに覚えてしまうのには驚いた。
聴覚が素晴らしく発達しているのだ。
歌も皆さんが上手である。
そして何よりも、大きな声で精一杯歌う姿がとても印象的だった。
男性と女性が半々なので、歌のキイには気をつかったが、
懐かしい歌を楽しんでくださったようだ。
そして急なリクエストには、「前読み」で」対応した。
歌詞を少し前に読んで、それを聞きながら歌うという方法だ。

最後には、私にソロのリクエストをくださった。
涙そうそう、時代、花、60年代歌謡曲メドレー(恋のバカンス、グンナイベイビー、
白いブランコ、ブルーライトヨコハマ、恋の季節・・・)などを歌わせていただいた。
9月の末にもう一度この教室がある。
今度は、秋らしい歌をプレゼントしようと心から楽しみにしている。


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(※転用・転載・web配信等は禁止)

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2006年08月08日

ホスピス「思い出の会」に参加しました(加藤直美)

私がボランティアをする地元の病院では年に数回、
病院からお見送りした方の身近な人々に集まっていただき、
「思い出の会」を開催している。
これは病院全体の催しなので、それぞれの病棟の医師、看護師なども参加する。


私がこの病院の緩和ケア病棟でピアノの演奏を始めて1年以上が過ぎた。
その間にお見送りした患者様は多い。
私がピアノの演奏に伺うのは週1回で、仕事の合間をぬっての活動だ。
その時の患者様やご家族の状態は様々なので、
その日によってラウンジでお会いできる方も、
直接お話が出来る方も、リクエストくださる方も様々だ。
しかしラウンジで弾くピアノの音は、
緩和ケア病棟の全域に聞こえているらしい。
実際にお会いできなくても、
私のピアノを楽しみにしてくださる方は多いと伺っている。

ここで出会った方々と、それが患者さまでもご家族でも、
リクエストを戴き演奏する活動はひとつひとつが私の中に鮮やかに残る。
演奏活動をはじめて最初にリクエストをくださったSさん。
お風呂へ行くベッドのままラウンジに寄ってくださり、
一緒に「もみじ」を歌った。
ヨンさまが好きで、戴いた「冬ソナ」のリクエストは、
メドレーにした楽譜が今も残っている。
この曲を弾くたびにSさんを思い出す。

スタンダードナンバーが好きだったKさん。
お髭が似合う紳士だった。
「想い出のサンフランシスコ」「男と女」
「シェルブールの雨傘」「ビートルズナンバー」・・・。
多くのリクエストを下さった一人だ。

私と同世代のAさん。
お子さんの年頃も似ていて話が合った。
フォークソングやJポップをリクエストくださった。
譜面を探しまわってやっと見つけたものもあった。
「木綿のハンカチーフ」「22才の別れ」「サボテンの花」
「学生街の喫茶店」「岬めぐり」・・・。
今も残る緑色のファイル全部が、このAさんからのリクエストで埋まった。

家族で毎日のようにお見舞いに来ていたTさんご一家。
お父様が、アンドレギャニオンが好きで、
「めぐりあい」のリクエストをくださった。
息子さんが譜面までご用意くださり、私は時間を作って練習した。
弾いて差し上げた時の息子さんの喜び方・・・。
お父様より喜んでいるのはご家族の方だった。

その他にも多くの患者様との出会いがあり、
音楽を通して共感した時間があり、その思い出が私の中に残る。

この方々は、ある日突然私の前からいなくなってしまう。
ピアノの演奏に伺った時にはじめてスタッフから、
「実は○○さんが・・・」という感じでお亡くなりになったことを聞く。
教えてもらえる時もあれば知らないままということもある。
音楽を通してそこまで心通わせた方が、
亡くなるということに耐えられなくなった時期もあった。
「私の中できちんとしたお別れが無いまま」というのが悲しすぎた。
何らかの言葉にして、お別れの事実を確認することがとても大切だと感じた。
「葬儀」とは、そもそもそういう儀式だということを改めて知った。
どこにも表現できない悲しみが私を襲った時に
「この悲しみを出さないと、もっと辛くなるかも知れない」
という気持ちになった。
そして今回の「想い出の会」に参加することにしたのだ。

ホスピスで出会ったご家族も多く集っていた。
私のピアノを聞きながら病室で共に語ったという話や、
音楽を聞いてから前向きになって行ったという話など、
私のつたないピアノ演奏が、
皆さんに様々なプラスの影響を与えていたということも知った。
この場所で私は多くの涙を流した。
多くの亡くした方と、初めてここで「お別れ」が出来たのだ。
涙を流すこと、声を出して泣くことがとても大事なことと実感した。

お集まりの方々も、多くの思い出を語りながら、
そして持参した写真をみつめながら涙していた。
時には嗚咽を漏らしながら、誰もが悲しみの思いを吐露した。
時には笑いも出たり、皆さんの中に残る故人を思いながら時間は過ぎて行った。
まだまだ立ち直れない所にいる方も多い。
でも、こういう場所があるから、そこで自分の思いを吐き出して、
1歩ずつ悲しみから立ち直って行けるのだと思った。

病院生活の中で、医師や看護師への感謝の言葉も多く話された。
身近な方を亡くして旅立った病院に、再び訪れることが出来るというのは、
やはりその日々が、スタッフ達によって暖かさや優しさに包まれていたからこそと思う。

ヨンさまのファンだったSさんのご主人様とも再会した。
私は思わず涙が流れた・・・お別れは悲しいけれど、
亡くした後にもこうして心の中に残るということは、すごいことだと思う。
人の死は、もう姿形はここには無いが、多くの人の心の中に生きて、
なお共に歩んでいることがよく分かった。

このような場所の提供は、病院ばかりではなく、葬儀社サイドでも可能であり、
もっともふさわしいのかも知れないと感じた。
しかしそれには、葬儀の段階からお客様を大切にし、
その心に残るような儀式を提供することが大切だと思う。
身近な方の「死」と向き合い、その悲しみを越して行くには、多くの時間がかかる。
そしてそれをサポートする場所が、今、求められていると感じた。

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2006年06月14日

ミュージックセラピー教室  (加藤直美)

この春から・・・
荻窪駅前にある読売文化センターで始めさせていただいた私の教室は、
普通の音楽教室ではなく「ミュージックセラピー教室」だ。
音楽をつかってリラックスすることを目的とした歌の教室である。


リラクゼーション呼吸法からはじまって、
身体をほぐし、声を出す。
歌は上手なものを目指すのではなく、
その人らしい自由さと、発散をする為に伸び伸び表現する。
渋谷保健所関連の様々な場所で、これまで10年近く
活動させて戴いたものが成長し少しずつ完成形になってきた
「はっぴーぼいす」という活動だ。

この活動も少しずつ広がってきた。
今日の午前中は渋谷区幡ヶ谷保健所で、
障害をお持ちの方々とのミュージックセラピー教室だった。
私自身が先週からの1週間を友人の葬儀や、セミナー出張で本当に突っ走った。
私の心身が、ヘトヘトの状態のまま、
ミュージックセラピーの仕事に出向かなければならなかった。
そして久し振りの通勤ラッシュ。

朝の中央線はものすごい混雑で、本当に辛い。
去年の病気手術、入院後、パニック障害気味の私は、
狭い場所や人ごみが苦手。
新幹線も座席の一番奥が嫌だ。
飛行機の離陸前もとても怖い。
歯の治療でじっとしているのもすごく苦手。
今、日常生活では、なるべく緊張することを排除して生きている。

そんな私が、一旦音楽の世界に浸るとその気持ちは一変するから不思議だ。
なるべく音楽を持ち歩き気に入った曲を聞く。
ドキドキしそうな時も音楽のお陰で気分が楽になる。
それが紛れも無いミュージックセラピーの世界。

ミュージックセラピーの時間は、音楽をシャワーのように浴びる。
歌う前には、リラクゼーションを欠かさない。
楽な自分をイメージして行くと、全身の筋肉がほぐれてくる。
身体が楽になると心が楽になる。
そしてそのままの自分を受け入れることが出来る。
「このままでいい」
「このままが一番素敵!」
と自分に語りかける。
葬儀のナレーションで鍛えた
「声の深さ」
「ゆっくりと語りかける言葉」
皆さんを瞑想に導く時の言葉がけに、それはとても役立っている。

リラックスするための音楽の時間を過ごすことで、
皆さんと同じように私自身も、心身の疲れを取って行く。
たっぷりとミュージックセラピーをした後は、
身体も心もとても楽になることを体験している。

今までは、障害などをお持ちの方々向けに活動してきたこの「はっぴーぼいす」が、
今や世の中の誰にでも通用するような時代になってしまったと感じる。
昨年は就学前児童をお持ちのお母さんたちのために、
「気持ちを吐き出して、楽になりましょう」と語りかけながら、
大声で歌ったり踊ったり、ストレスを発散するミュージックセラピーをした。
その時泣き出したあるお母さんがいた。
「私は今まで、随分無理をしていたことに気づいた」と、その方はおっしゃっていた。
「涙を流すことで心のつかえが取れた」とも話してくれた。

読売文化センターの受講生の方も、
日頃のストレスを歌うことで大いに発散してくれている。
人は大きなストレスをため過ぎると病気になる。
病的なストレスに至る、数歩手前で気づき、
何らかの形で発散させることがすごく重要だ。
生きることにいつも一生懸命な私にとって、
音楽とリラクゼーションの時間は、なくてはならないアンプル剤である。

<お知らせ>
2006年、MCプロデュース監修の【童謡・唱歌名曲集(母のうた)】CDを、
全曲サンプル試聴できます。
今月のフューネラルビジネスフェア(綜合ユニコム主催)でリリース予定ですが、
以下、その広告文から拝借しました。

■「ふるさと」「しゃぼん玉」「夕やけ小やけ」……日本人なら誰でも知っている、ふるさとの四季・子どもの遊び・母をなつかしむうたなど、著作権をまったく気にせず使用できる童謡・唱歌の名曲全11曲をシリーズ初収録
■ホスピスで年間約100件の訪問ピアノ演奏を続けるミュージックセラピスト・加藤直美が、患者さんからのリクエストの多い童謡・唱歌を厳選。歌詞の入らないノンボーカル編曲

試聴されます方は、下ボタンをクリックしてください。
(※転用・転載・web配信等は禁止)

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2006年05月10日

ホスピスへのお見舞い(加藤直美)

主人の30年来の友人が、末期ガンで入院している。
このGWには、その友人とゆっくりと話がしたくて主人と2人、
聖路加国際病院までお見舞いに行った。
先月までは内科病棟にいた。
しかしついこの間、緩和病棟(ホスピス)に移動したとのこと。
本人も覚悟の上のことだという。

肝臓から全身への転移があり、夫と見舞った時には意識混濁の状態だった。
モルヒネが投与されている。すでに話が出来ない状態だ。
こちらが話しかけることに頷くような、何か話したいような素振りを見せる。
まだ50代半ば・・・。まだまだ人生これからという時に・・・。
私たちも本当に悔しい。

サックスのミュージシャンとしての彼の人生は、それは密度の濃いものだった。
生涯独身だったが、ジャズミュージシャンとしては、
本当に恵まれた「昭和の時代」を音楽という伴侶と共に駆け抜けた。
お酒が大好きで、よく我が家の飲み会には顔を出してくれた。
飲むと少しだけクダを巻くのが玉にキズだったが、
それだけに面白い武勇伝もたくさんあるらしい。
夫は偶然に病室で出会った音楽仲間と、彼の色々な出来事を話していた。
病床の彼には聞こえるのか、時々唸るような声を上げる。
返事をしているような・・・「そんなことまで、こんな時に話すなよ・・・」
と言っているような・・・。

状態が悪くなってからは、お姉さんが付き添っている。
遠くから通っているらしいが、家族の愛を感じる。
末っ子だった彼は、兄姉の誰よりも先に、天国へ召されてしまう。
ご家族にとっても、それは辛いことだろう。

聖路加国際病院のホスピスは、一歩足を踏み込むだけで、
そのやさしくて暖かい環境が感じとれる。
患者様や家族が大切にされていると感じる。
全部が個室になっていて、彼の部屋では有線放送からジャズが流れていた。
明るい病室からは隅田川沿いのウォーターフロントが一望できる。
最高のロケーションだ。
日野原重明先生と偶然エレベーターでご一緒した。
小さくてやさしそうなおじいちゃんだった。
この身体から物凄いパワーを出しているなあ・・・と、しばし見とれてしまった。

病室には、代わるがわる友人達がやってくる。
こんなにも友達が多かったのか・・・とお姉さんは感激していた。
そして友人たちは、彼の耳元で「頑張れ」「頑張れ」と言っていた。
私たちだって彼には、1分、1秒長く生きて欲しい。
奇跡が起こるのならばもう一度、楽しく話をしたい。
大声で笑いながらお酒を飲みたい・・・。
しかし・・・もうここまで来て、どうやって頑張れというのだろうか・・・。

「ここまで、よく頑張って来たね」
「もういいよ」
「ゆっくりと、休んで・・・」
「お疲れ様・・・」
そう言ってやりたかったと、夫が、ぽつりとつぶやいた。

彼が吹くサックスは、とてもロマンティックで、素敵な音色だった。
出来ることならもう一度、その音を聞いてみたい。

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2006年04月25日

悲嘆の自助グループへの参加 (加藤直美)

今年度から、地元にある悲嘆自助グループに参加することになった。
参加の目的は、私自身の悲嘆経験を何かの形で生かしたいという気持ちと、
自分自身未だにその悲しみから立ち直っていないのかも知れないという、
漠然とした不安からだった。

このグループは、発足してから何年かは、あるNPO団体の援助を受けていたらしい。
しかし援助する側とグループメンバーの思いの違いから、
今年度からは、自助グループとして自分たちだけで歩きはじめるということだ。

ご縁あって、私がそこに参加するようになったからには、
何かのお手伝いをしたいと思っている。
しかし悲嘆のサポートなどという大げさなことではなく、
あくまでも経験者としての立場から「悲嘆」や、
それを「サポートする側」の現場を見つめたいと思っている。
1ヶ月に1度だけ伺いながら、様々な悲嘆の形に思いをめぐらしていこう。

昨今、悲嘆についての講演会や書籍など、
以前に比べれば「悲嘆」そのものを語る場所は増えて来たのかも知れない。
しかし、まだまだ認知されるまでには至らないという。
認知されるもされないも、それは悲嘆を抱える方の問題であり、
「支えます」「サポートします」「どうぞ泣いてください」と言われるのは叶わない。
泣くか泣かないかなんて、私の勝手だもの・・・。

先日の会では、これからの方向性を話し合った。
そしてこの場所では、それほど専門的なものとしてではなく、
区民が普通に「つぶやける」自由な場所を目指そうということになった。
何よりも私たちが欲しいのは、自分の想いを自由に「つぶやける」場所だ。

何を話そうと、どんな順序で話が出てこようと、
それはその人の自由であり、許されるべきものであるはずだ。
しかし時としてそのような場所ですら、
「それは違う」とか、「その答えは、○○です」とか、
「そんな言い方はしない方がいい」などと言われることがあるらしい。
私たちは、自らの悲しみに答えを与えて欲しいのではない。
歩いて行く道を聞いているのでもない。
ただただ、その悲しみに涙しながら、
今の思いを言葉にしながら、越して行きたいだけである。
そしてそれらの話に、ただ耳を傾けて欲しいのだ。
悲しみについて、何を発言してもそれを否定されない場所が欲しいのだ。
「そういう会にしたい」と意見も一致した。

少しずつ悲しみを見つめながら、私らしい活動を模索して行きたい。

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2006年04月08日

悲嘆サポート・自助グループの苦悶 (加藤直美)

以前、弊社HPのエッセイにも書いたが、
私は18年という長い悲嘆からの立ち直りを経験している。
詳しいことはここでは割愛するが、私自身の悲しみを乗り越えるために、
何年もかけて色々な場所を尋ね、様々な学びを重ねた。
その中で、ある「悲嘆の会」と出会った。

初めて出かけた時は、その会をサポートするNPO団体代表者の講演会だった。
その代表はどんな人かは忘れたが、多分○○大学教授とか、
どこかの代表というような偉い人だったと思う。
話の内容から、その方自身は特に悲嘆の体験が無いということが分かった。
非常に学術的、教科書的な話で「敷居が高い」と感じた。
「誰かが、こう言っていました」とか
「ある本には、そのように書いてありました・・・」的な、
よくあるたとえ話ばかりで、心に響く言葉がなかったことを覚えている。
私はそれ以来、その会には顔を出さなかった。

それからしばらくして又、不思議なご縁で、その自助グループを訪問した。
これはその時の忘れられない出来事だ。
私が久し振りにその会に出向き部屋に入ると、
何だかとてもこわばった空気を感じた。
その日が年度末ということで、次年度への話し合いがされているところだった。
NPO団体の数人と自助グループの数人が、机を囲んで話し合っている。
初めて参加した私は
「今日は、帰った方がいいでしょうか・・・」と申し出たが
「せっかく来てくださったから、どうぞいてください」
と言われ、その場にとどまった。

聞いている内に、だんだんとその内容が分かってきた。
NPO団体の言い分はこうだ。
「この会は時として、お茶飲みばなしになるきらいがある。もっと前向きに悲
しみについて話したり、又、外部のそのような勉強会に参加して、もっと成長
することが必要だ」と・・・。
その人の語気がとても強く、押し付けているような圧力を感じた。
NPOとしては、この会をサポートする以上、
何かきちんとした形にしたいという思いが強いのだろう。
悲しみから少しずつ立ち直り、今度は立ち直った人が、
新しい悲しみの方のためにサポートできるようになって欲しいと、
主張しているのだ。それは私もよく分かる。
そして自助グループの言い分はこうだ。
「もうすでに2年くらいこの会に参加しているが、新しい人も来たり来なかっ
たり、常時参加者も5人程度。いつもの顔が揃えば、世間話や茶飲みばなしに
なるのは仕方がない」
「そんなことを言われても、私たちはこの場所に来るだけで精一杯だ」と・・・。
長い間にたまりにたまった気持ちを臆することなく吐き出している。

私は思った。NPOと自助グループと、
双方のコミュニケーションがここまでこじれた原因は何か・・・。
初めて参加した私の目前で繰広げられる様子に驚くと共に、
NPOという立場で悲しみの方々をサポートすることの難しさを垣間見た。
「悲嘆サポート」自体、訓練されていない
ただのボランティアが出来ることではない。
それなりの勉強をして、経験を積んだNPO団体の、
選ばれたスタッフたちが支えているのだと思う。
そしてその言い分も正しいことばかりだ。
「前向きに」
「勉強をして」
「次の悲嘆の方を支える」
「話しを反らしてはいけない」
「決め事通りに進める」
「軌道を外さずに」・・・。
悲嘆のカウンセリングという中で、ファシリテーター(中立者)が
守らなくてはいけない、正しいことばかりだ。

しかし、時として訓練された人、専門的な人、勉強を積んだ人は
「こうあるべき」
「こうしなくてはいけない」
「きちんとしなさい」
「ちゃんとしさない」的なことを言う。
「何かを言ってあげなくては・・・」
「どうにかしてあげなくては・・・」と思うがゆえの言葉だ。
せっかくのその想いもここまで強すぎると、相手は気持ちを引いてしまう。
言っている側も相手が何を思っているのか、
「本当はどうしたいのか」を見失って行く。

しかし「本当はどうしたいのか」
そしてグループとして「どう成長して行きたいのか」は、
NPOの人たちが決めることではない。

「私自身はその時、どうしたいと思って、その会に行ったのか・・・」
私は純粋に、自分の悲しみと向き合いたかった。
その思いをじっと見つめたい。
思ったことを言葉にしたい。
自由に自分の想いとして吐き出したい。
答えはいらない。
指示も命令もいらない。
話しが脱線することを許してほしい。
私が言っていることが正しいとか間違っているのかを聞いているのではない。
ただ私の話しに耳を傾けて欲しい・・・。
私はここに、勉強しに来ているのではなく
「ただ悲しみをつぶやきたいだけ」なのだ。

人の悲しみは「理屈、理論」ではない。
常に揺り動き変化する生き物だ。
カウンセリングとか、心理学だとかの「枠」にはまるものでもない。
他の誰かがこう言ったとか、他の誰かはこうだったとか、
他人の事例なんか横に置いて欲しいと、思っていた。
私自身のことを聞いて欲しいと思っていた。

この場所で何が行なわれるのが正しいことか・・・それは
「そこにいる悲しみの人が、今、ここでどうしたいか」が唯一の答えだと思う。
ここはカウンセリングや心理学研究所、大学の研究会のような場所ではない
「市民のための自助グループ」だからこそ、どのような人にもやさしい、
自由な場所であって欲しいと心から思った。
もちろんサポートする人には、専門的な訓練が必要だ。
でもそれは、悲嘆の方々に押しつけるものではないと思う。
その後の、このグループの消息は知らない。
そして、私の悲嘆もその時からしばらく封印された。
私はそれからしばらく悲しみを表現する機会を失った。

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2006年03月23日

「病院ボランティア講座・体験発表」

先日、病院ボランティア向け勉強会の最終日に、多くの受講生の前で、
ボランティアスタッフとしての体験談を話す機会をいただいた。
接遇講師としてではなく、一人のボランティアとしての視点で話すことは、
私にとってもとても有意義な時間だったと感じる。
以下にその時の内容を書きます。

昨年の7月頃から、ボランティアスタッフとして、お手伝いしております。
ボランティアをしたいと思ったきっかけは、昨年こちらの病院に入院、
手術をした時に、とても献身的な看護をしていただいた経験からです。

その時は、病気そのものは、それ程大きなものではなかったのですが、
私なりに精神的なダメージを受けておりました。
傷や病気はお医者様が治してくれる。
でも「精神的な部分は治療では埋めることが出来ない」という経験をしました。
それを「こころとからだの癒しのために・・・」という理念を目指して、
チャプレンはじめ看護師さんたちが、とても大切にしてくださったことが、
今でも忘れられません。
退院してから暫くは自分の体の方も大変でしたが、その内よくなって来ると、
何だか、「この病院に帰ってきたい」という気持ちが募りました。
でも「病気にならないと、帰れないなあ」と思っている時に、
ボランティアのことを知りました。

私のボランティアとしての体験は、クリニック棟の2階からスタートしました。
ここでは、患者様の様々な困りごとのお手伝いをします。
特に、体重計や血圧計の計測のお手伝いが多いです。
初めて使う方や、お年寄り、車椅子の方などのサポートをします。
自分で出来る方にとっては、私のお手伝いが余計なものであることもあります。
患者様が、迷っていらっしゃるのか、どうかをよく見ることが、コツです。
「私だったら、こういう時にどうしてもらいたいかな?」と、いつも考えます。
私自身はどうかというと「はじめは自分でやりたいというタイプ」です。
患者様にも、色々なタイプの方がいらして、どこまで親切にしてあげるか、
又は、どこまでさりげなくするか、時には手は出さない・・・
ということを毎回、迷いながら体験しています。

ボランティアスタッフとして、初めて体験することは、
私にとってもドキドキもので、不安なこともあります。
ですから分からないことは、何でも聞くということを基本にしています。
色々な困り事を自分ひとりで解決しようと思う方が、危険なことだと思います。

最初の頃、一度だけ職員の方に怒られたことがあります。
クリニックで「掲示板の見方は、よく分かっているのですか?」
と言われました。見方の勘違いをしていました。
一番いけないことは「間違った情報を患者様に伝えること」です。
それが後々、大きな問題につながりかねません。
ですから、あやふやなことをお伝えすることがどれだけ危険なことかを 
再確認しました。今、私が守っていることは、
「自分が不安なことは、すぐに聞く」ということです。

ナース以外にも、事務の多くの職員の方は、とにかくとても忙しいです。
受付の女性の方などは、右の耳で、目の前の方の話しを聞いて、
左の耳で電話して連絡をとって、口で答えて、手は別な作業をしています。
職員の方が忙しいと、「今、聞くと申し訳ない」という気持ちになります。
でもその遠慮はいらないと思います。
もちろん何が何でも「仕事に割り込んで聞く」ということではなく、
こちらも職員の方をおもんぱかった聞き方が大切です。
患者様のことで精一杯の時に、私たちの面倒までは見切れません。
ボランティアスタッフであっても、自主、自立が求められます。

患者様はもちろんのこと、職員の方も、ナースも、そして私も人間ですし、
色々な勘違いや行き違い、感情の起伏もあります。
最後には「お互いに信頼し合い、許し合いながら・・・」
という気持ちがとても大事です。
もうひとつ大事なのは、私自身のストレスをためないことです。
小さなことでも気になることがあったら、
ナースの方に「こんなことがありました」
「こういう時にはどうしたらいいでしょうか?」というお尋ねして、
心配なことはその時に解消します。

病院においでになる方たちは、どちらかと言えば、重い気持ちや辛い症状で、
言葉も少なくて、下を向いているような方が多いです。
そういう方々を見ているとどうしても私まで静かでおとなしくなって行きます。
けれど、私まで下を向いて暗くなってしまうと、
患者様をリードしてご案内することは難しいです。
ですからご案内で入口に立つ時には、ちょっと気合を入れます。
エンジンをかけて、こちらから進んでご挨拶をします。
「おはようございます」
「こんにちは」
「何かお探しですか?」
「お分かりになりますか?」等など・・・。

毎回、ほとんどが初めてお会いする方ばかりですが、
私から近づいて行くと、大体の方はこちらを向いてくださいます。
「心の扉が開く瞬間」という感じです。
そうすると会話が生まれます。
会話のやり取りから、今度は笑顔が出てくることもあります。
一度、患者様とそのような雰囲気になると、お帰りになる時に
「お世話になりました」とか、「今、終りました」と、
今度は患者様から、私に向けての声がかかります。とてもうれしいです。
「お大事になさってください」という言葉でお見送りをします。

私は、月に数回しか来ないボランティアですけれども、ここではその時だけの
たくさんの出会いや会話があって、とても充実した時間を過ごしています。
ボランティア活動は、出来る範囲内で、決して無理はしないように、
そして、なるべく楽な気持ちでいようと、心がけています。
この病院の多くのスタッフの一員として、ここで活動できることが、
今は私の誇りです。

以上が、私が話した体験談である。
葬儀の現場でも同じような経験がある。
特に葬儀は私でさえ、やらなければならない仕事と時間に追われて、
なかなかお客様との細かいコミュニケーションにまでは至らない。
だからと言って、ないがしろにしていいということは許されない。
そんな私にとって病院での体験は、患者様やお客様との間に繰り広げられる
深いコミュニケーションのやり取りを体感させてくれる。
そして再確認したことは、患者様やお客様など、
他人がどうのこうのという前に、
「自分は何を思い、ここでどうしたいのか」
「患者様(お客様)にはどうなってほしいのか」という
「接遇理念(自分が信じるコト)」を持つことがどれだけ大切かを実感している。

葬儀の現場においても、スタッフ一人一人が、
自分の中にこのような「想い」を持つことが出来たら、
素晴らしい顧客サポートが可能であると同時に、
素晴らしい組織作りが、出来るのではないだろうか・・・。
今年度の接遇研修会は、このような要素をたっぷりと入れて行くつもりだ。
楽しみにしていてほしい。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 00:01 | トラックバック(0)

2006年03月18日

「泣いてもいいですよね」

ホスピスで行っているピアノライブは、私にとっても心の安らぎの時間だ。
週に1回、私はそのピアノライブの1時間30分程度を、
ただひたすらピアノに向かい弾き続ける。
いつも私の大好きな曲のオンパレード。
私の音楽の世界にどっぷりと漬かることができる、
自分への「究極の癒しの時間」でもある。
患者様やご家族、看護師さん、クリーンスタッフにまでリクエストをもらい、
その方々の音楽の世界を垣間見ることもできるとても深い時間だ。

ホスピスに伺ってから、人が生きて来た中で、
どなたにも深い関わりのある音楽が存在するということが分かった。
「お好きな歌は何ですか?」と尋ねると、
しばらくしてどなたからも、必ず答えが返ってくる。
それも様々なジャンルの音楽。様々な時代の歌。
楽譜があるものはすぐに弾いて差し上げる。
楽譜が無ければうろ覚えで、ナンとなく弾けるものもあれば、
全然思い出せないものもある。
でも今この時に、少しでも弾いて差し上げる努力をする。
弾けなければ歌う。ラララだけでも歌う。
ホスピスには「今度・・・」という時間は約束されない。

Oさんとは、去年の暮頃に出会った。
仏文学や演出などのお仕事をしてきたとご本人から伺った。
ピアノの時間に仏の映画音楽を随分リクエストしてくださって、
私も頑張って練習したのを覚えている。
「男と女」「シェルブールの雨傘」・・・。
お元気な頃はポリフォニーとか教会音楽とか、
そういったことに関するお話も伺った。
Oさんはビートルズ世代。
「イエスタデイ」「ヘイジュード」「レットイットビー」など、
家にある古い楽譜を探し出して、弾いてさしあげたことも思い出す。

その方が・・・亡くなった。
ホスピスでの活動で、初めて色々なことをたくさんお話した患者様だった。
独身でいらしたらしく、病床ではご家族の姿もなく
一人で最期を迎えた方だった。
しかし今ある現実をしっかりと受け入れ、
迷いのない日々を送っているように見受けられた。
いつも私のピアノの時間にそっと寄り添ってくださり、
必ず1曲ずつに拍手をくれた。

先日のライブで、私がピアノを弾き始めてすぐに、
ボランティアスタッフの方が、小声でOさんの死を教えてくれた。
ホスピスでの活動のすべては
「個人的に介入するものであってはいけない」
「一人だけに何かをしようと思うことは危険なことである」など等、
患者様への個人的な思い入れや、関わりは切り離すべきことであり、
偏った感情は横に置くことが求められる。
私だって、いつもいつもその患者様の病状を考えていることには耐えられない。
ホスピスで「死」は、目の前に立ちはだかる越せない壁。
お医者様でさえ神様でさえ避けられない。
ご本人ですらどうしようもないこの現実を他人がどうすることも出来ない。
何かをしてあげようと思うことそのものが、私たちの驕りとも言える。
私には週1回だけ、音楽を通して側に寄り添うことしか出来ないのだ。

Oさんの死には、涙が流れて止まらなかった。
ピアノを弾いている最中に聞いてしまったものだから、弾きがら落涙した。
Oさんの面影が頭の中に次から次へと思い出されて・・・。
ついこの間そこに座って私のピアノを聞いてくださっていたのに・・・。

その時私は、この気持ちに正直でいようと思った。
泣きたければ泣いていい。
私も一人の人間。
悲しみを隠すのはやめよう。
ピアノを弾き終わり、ひとしきり泣いた。
そして又、弾き始めた。天国にいるOさんへの鎮魂歌。

ホスピスでは、葬儀で出会う故人への感情とは、又違った深い悲しみがある。
生きて知り合う方が、亡くなって行くという現実。
Oさんは、もうベッドから起き上がれなくなり、
ラウンジにピアノを聞きに来られなくなっても、
ベッドの中で私のピアノを聞いていてくださったそうだ。
1曲ずつちゃんと拍手をしてくださったと、看護師さんから聞いた。

知らない者同士がホスピスで出会い、音楽を通して、
人生の優しい時間を共有できたということに、不思議なご縁を感じる。
そしてその時間はいつまでも私の中に生き続けて行くだろう。
ご冥福を祈ります。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 23:19 | トラックバック(0)

2006年03月04日

「病院ボランティア講座を受講しました」

今私が、患者様ボランティアとして伺っている病院で、
新規ボランティア希望者向け講座が開催された。
4回の勉強会で、週1回、夕方から夜にかけての2時間を
びっしりと様々なプログラムが準備されている。
この勉強会は、ボランティアという無償の仕事ではあるが、
病院と言う場所であるがゆえに、その理念や目的を
しっかりと頭に叩き込むように出来ている。
私はすでに現役のボランティアとして活動しているが、
このような勉強会にはとても興味があり、参加することにした。

昨日の2回目は、雨交じりの寒い夜だったが、
多くの方が電車やバスを乗り継いで来ていた。
1回目は、ボランティア規定、目的、理念などの勉強会だった。
医療という世界で、私たちに何が出来るか、何を求められているのか、
又、多くの方々と共に働く時のチームワーク理念、
社会的な立場でそれを興味本位ではなく継続させて行くために、
命と向き合うことを通しての自らの死生観 など等・・・。

はじめからその内容はとても深く、重いものだった。
2時間びっしりと話を聞くことが、こんなに体力のいるものかと感じた。
そして多くの時間をさいたものが、守秘義務のお話。
当たり前のようであってなかなか守りきれないものでもある。
最近の病院は、名前を公にしないことが多い。
診察でも会計でも番号が出てくる。
入院病棟の部屋の外には名前も出さないことが当たり前な時代だ。
私も日々の活動で感じるが、守秘義務は、医療の中に入って行く私たち素人が
最も気おつけなくてはならないもののひとつだろう。
そして広くどこの場所にいても「他人のプライバシー」というものを
重く受け止める必要があることをあらためて感じた。

そして2回目。この病院はキリスト教という宗教をもつ。
50%が宗教を持つ職員。私は特に何の信仰も持たない無宗教。
もちろんボランティアスタッフも職員も、宗教は問われない。
しかし、医療の日々の活動にはキリスト教の理念がしっかりと根づいている。
1時間ほどかけてボランティアコーディネーターのチャプレン(牧師)が説明され
たボランティア理念は、まるで教会のミサでお話を聞いているようだった。
「心とからだのいやしのために キリストの心で ひとりひとりに仕えます」
というのがこの病院の理念だ。
ひとつひとつの言葉に意味があり、深い想いがある。
たくさんの職員やボランティアスタッフが集い、
患者様に対して医療というサービスを目的に多くのことがなされる時に、
全員の気持ちがひとつになり、目的のマトに向かって
歩調を合わせ歩んで行くことは最も大切なことである。
その時にこの理念は、心の支えともなり、
それに向かって行く過程そのものも大事なことと教えられたような気がする。
人間の一番の幸せは「人に仕えてもらうこと」ではなく
「人に仕えること」かも知れないという牧師さんの最後の言葉が
非常に印象的だった。
次回は1週間後に開かれる。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 00:43 | トラックバック(0)

2006年02月24日

「加藤の特別号」が始まります!

今回のホームページリニューアルで、私のお部屋を作ってもらえることになった。
「直美のお部屋」という名前は却下された。題して「加藤の特別号」
私自身、音楽の世界に生きて40年以上が過ぎた。
幼稚園でオルガンを習い始めて、エレクトーン、ピアノ、フルート、バイオリン、
シンセサイザー、ギター、一五一会、縦笛、ハモニカ・・・手にした楽器は多い。
そして高校に入ってからはじめた声楽も、クラシックからミュージカル、ジャズ、
ポピュラー、カラオケ、ゴスペル・・・に、至るまで幅広く楽しんでいる。
そんな私が今から10年程前に葬儀の世界に入った。
その時の私の目的は「葬儀スタッフ向けの教育の仕事がしたい!」
その一心で、三十代後半で葬祭業界入りを果たした。

たまたま、16年程前から企業研修のマナー講師をしていたということがあり、
10年程前に「葬儀屋さん向けのマナー研修」を頼まれた。
最初はお断りしたのに、やっぱり先生がいなくて、無理やり講義をさせられて、
その時私は初めて「葬儀の世界」を知った。
葬儀の世界というよりは、葬儀屋さんの世界といった方がいいのかな?
その時に目にした葬儀屋さんたちは、全部ではないが、
「暗いというよりは、やる気がないという感じ」
「人のことを斜めから見るような感じ」
「やさしさや暖かさを感じない」
「非常に後ろ向きに生きている感じ」
などをバリバリと感じた。
これでお客様の前に出るのかなあ・・・?
こんな喋り方しか出来ないのかなあ・・・。
見た目も悪いし・・。
しかし私はこの人たちだけに悪気があるとは思わなかった。
世の中全体が、葬儀屋さんをそういう目で見ているのかも知れない。
そして紛れも無くこの私も・・・。
ところが葬儀屋さんがやっている仕事は、すごく大切なことであることが分かった。
勉強してもしても奥が深くスゴイ仕事だということが分かった。
私はその頃から、
「葬儀屋さんたちにやる気を持ってもらいたい」
「頑張っていることをほめてあげたい」
「大事な仕事であることを葬儀屋さん自身に伝えて行きたい」
「お客様のために仕事をすることの大切さを伝えたい」
そして最後には、「葬儀屋さんのサポーターになりたい」と思った。

もちろんそれが葬儀スタッフの教育につながって行けば何よりだと思った。
そこで私は講師になることを目標に、
葬儀スタッフのことを知るために現場スタッフとして葬儀の世界に入っていったのだ。
そしてちょっとのつもりが、それ以来葬儀の世界にのめり込んだ。
そこで出会ったのが、そこにいるお客様の「悲嘆」という心理だった。
そこではじめて、葬儀→悲嘆心理→音楽という道のりを経て、
私の中にある「音楽の感性」と「葬儀」が一つになった。
すでに十数年前からのミュージックセラピストとしての活動をしていたということもあり、
たどるべき道を年月かけてたどり、来るべき場所に立ったという感じがした。

私は今までも、MCプロデュースでの仕事である「葬儀スタッフ向けの接遇講師」
という肩書きと、ミュージックセラピストという肩書きで活動している。
そして現在のミュージックセラピストとしての活動には、
「音楽をつかった心身ほぐしのデイケア」
「心と身体をほぐすボイスセラピー」
「声を出してストレス解消」
「うつな気分を声でやわらげる」
等の内容と、ホスピスでの音楽活動、それらの講演とコンサートと合体させた
「トーク・コンサート」がある。
これらの内容には、悲嘆心理やカウンセリングの勉強を続ける中で出会ったものも多い。
近い将来、この音楽活動と、葬儀社様のお客様向けの何かにつながって行くと確信している。

最終的に、私は誰を一番大切にしたいのか。
それは世の中の多くの「今、悲しみにある方々」だ。
悲嘆の時期に周り人々から大切にされるということは、
どれほどその人のその後にとって重要なことであるか。
病院~ホスピス~葬儀社~葬儀スタッフ・・・。
その悲嘆の時系列の中で接する人々は、その悲しみの方に大きな影響を及ぼす。
私はそのスタッフ達を教育の部分で支える。
そして悲嘆の方々は、音楽を使って支えたい。

使う「脳」は違うかもしれない。
しかし、接遇講師もミュージックセラピストも、
私という一人の人間から出てくるひとつの結果なのだ。
自分では心の根っこの部分では、それらがしっかりとつながっていることを知っている。
そしていつか、それが一つになる時が来るかも知れない。
自分のことながら、今はどうなって行くのかは分からない。
そして楽しみだ。

これから、この特別号では、
ミュージックセラピストとしての私の活動を書かせていただきます。
それから、普通のおばさんとしての意見や、講師としては書けないコト等も・・・。
とり合えず、最初はこんな感じでのスタートです!

<またまた井手の割り込み>
加藤、葬儀屋さんのサポーターになりたいんだって?
そしてら、膝とか肘とかに巻いてもらえ。(ガッハハハ)

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 16:36 | トラックバック(0)

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