東京に、まだこんなに質の悪い葬儀屋さんがいたとは・・・驚きです。
そもそも私の知り合いが亡くなって、独身だったものですから、
遠くの親戚が最初に無作為に見つけた葬儀屋さんと接触したのが間違いでした。
地方から出てきた親戚は、相場がわかりません。
故人が言い残した「音楽葬」という形にも面クラっていたらしいのです。
最初に「総額はいくら位で考えていますか?」と聞かれて、
何も分からないものだから、葬儀社が差し出した値段表の真ん中を指したそうです。
そこには・・・
「300万円」が真ん中?・・・っていうのからして、驚きですけど。
病院から遺族が式場に到着した時には、
すでに真っ白な、かなり豪華な棺がそこに置かれていたそうです。
驚いたお姉さんは、
「この棺は、いくらなんですか?」と聞いたそうです。
すると葬儀屋は、
「これじゃダメですか?」と、逆に突っ込んできたそうです。
お姉さんは、
「どの位の値段なんですか?」とひるまずに聞いたそうです。
「30万円です。真ん中くらいの値段ですけど・・・」と言ったそうです。
(それを聞いた時私は、30万円の棺が真ん中?と、思わず言ってしまいました)
そして、引き下がらないお姉さんにもう一度、「だめですか?」と聞いたらしい。
お姉さんはあきれて物が言えなかったと・・・。
すでにそこで対立することをあきらめたそうです。
看病で身も心も疲れ果てた遺族への仕打ちとして、本当に辛過ぎます。
葬儀屋に強い不信感を覚えたお姉さんが、
「自分たちだけじゃ、何をされるかが分からない」と言って、
私や故人の友人たちを打ち合わせに呼びました。
きちんとした挨拶もなく打ち合わせが始まると、最初から私はびっくりしました。
その担当者(社長)はテーブルに肘をついて、ペンを指先で持って、
用紙をツンツンとつつきながら(小指が立っていた)、
まるで友達のようなしゃべり方で・・・。
「あのね・・・」とか「違うよ」とか、
一番やってはいけない「ため口」の連発です。
その隣に座っている巨漢スタッフは、最初からあぐらをかいている・・・。
遠くに住む故人のお姉さんが、
「お返しは即日返しにしたい」と言っているのに、
「この辺では、それは非常識なやり方です」と言って譲らない。
「普通は・・・」とか
「この間の葬儀は」とか
「それは、違うと思いますよ」
「(他の葬儀の写真を見せて)これなんかすごかったですよ」
有名人が来たとか、誰とかからお花が贈られたとか・・・。
関係無いでしょ!そんなこと。故人がかわいそう過ぎます。
「音楽葬は自由な葬儀だから、形式は関係なく・・・」と自分で言っている側から、
それは「非常識でしょ」という言葉には、ナンの説得力もありません。
とにかく、葬儀スタッフとしての「禁句言葉」のオンパレードでした。
それが全部、遺族や私達が言ったことを否定する言葉だから、
もうそれは見事としか言えませんでした。
最後にはこちら側はもうこれ以上、葬儀屋さんと戦うのも疲れ果てました。
(相手は絶対に、それを狙っているとしか思えない)
この葬儀社の社長は、自分たちの都合で仕事をしているとしか思えませんでした。
そして最後には・・・
「故人が残したお金の範囲内であれば・・・」という妥協点に到達しました。
「あまり、ここで揉めるのも・・・」という私たちの大人の判断です。
田舎から来た親戚も、葬儀の打ち合わせで揉めることは好みませんでした。
私たちは「嫌な思い」をしたく無いんです。
だから妥協してしまうんです。
もしかしたら相手はそれを知っていて・・・とは思いたくありませんが。
遺族の判断で、葬儀社を変えるところまでは至らなかった、というのが悔しい事実です。
はっきり言って私は変えたかった。
まだ見積もりが出来てないのだから。
しかし・・・もう私たちはエネルギーが底をつきそうだった。
だって、遠くの席から身を乗り出して、
説明に聞き入る私を時々にらむんですよ!その社長。
私たち部外者を邪魔だと思っているのが見え見えでした。
だってしょうがないでしょ?お姉さんに呼ばれたんだもの・・・。
最初に不信感さえ植え付けなければ、
お姉さんたちだって、身内だけで打ち合わせしたかったと思います。
「もっと、気持ちよく打ち合わせがしたい」
「もっと気持ちよく葬儀を出してあげたい」身内なら誰でもが思うことです。
すでにこの時点で、全然気持ちよくなんかありません。
「不信感」「拒否」「否定的」の塊です。
葬儀屋さんのために何かをしてあげようとか、
一緒に頑張ろうなんて、ましてや言うコトを聞こうなんて、絶対に思えないやり方です。
二度とこの葬儀屋さんに頼むことも無いでしょう。
そのお店の前を車で通るたびに、
私たちは「あの時のやりかたは、最悪だったねえ・・・」と言い続けることでしょう。
「今でも、相変わらずあんなやり方しているのかねえ」と噂をすることでしょう。
今私は、その時のことを思い出すと、本当に嫌な思いが蘇えります。
その時もこの葬儀屋さんと2日間共にすると思うと、憂鬱な気持ちでいっぱいでした。
「東京の葬儀屋さんって、意外に遅れているのかも知れないなあ・・・」
というのが、その時の素直な感想でした。
<割り込み>
相変わらず馬鹿社長がいますね。
こんな葬儀社は実名を出したいくらいです。
私はセミナーでは、つい口を滑らすという高等技術で喋っちゃいますが。
また途中で業者を変えると、
それまでに掛かった費用という名目で法外な請求が来るんです。
まったく酷い話です。
そう言えば…かなり昔の話ですが、
私がまだ人材にいた頃、派遣された業者で、
ある馬鹿社長のお供をして直葬(火葬のみ)の見積もりに付き合いました。
プリント棺で火葬のみなのに・・・請求額が60万以上。
驚きましたよ。
この時も遺族がいなくて、地方から何も分からない遠い親戚が来られました。
雑談の中で、故人が遺した100万程度のお金があって驚いた…ような話が。
馬鹿社長がこの話に飛び付かない訳はないのです。
終了後に、「社長、いくらなんでも60万は高すぎませんか?」
確かこのような内容の抗議を私はしました。
「馬鹿かお前は・・・取れる時に、取っとかないとな」
鷹揚に開き直るこの馬鹿社長には、
適正価格という言葉の意味すら理解できないのです。
そして今でも、この会社は存在し、時には著名人や芸能人の葬儀まで手がけています。
病院との癒着とも言うべき取引の中で・・・。
まったく酷い話です。
悪が…のさばる…のでしょうかねえ。
|